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起業物語[aile vol.116]

つながっていく 我がまちの“縁”

野島美智子(のじま みちこ)さん 特定非営利活動法人我がまちの縁側 代表理事
短大卒業後、アパレル関連の企業に勤務。社員研修で知ったメンタルヘルスに興味を持ち精神保健福祉士に。精神科病棟、障害者の作業所などで勤務したのち、刈谷市のまちづくりの活動で出会った特定非営利活動法人我がまちの縁側の代表を引き継ぐ。

人の一生よりも、ずっと長いものがある。
私の手元に、ある起業家の記事がある。ついに理想へと一歩踏み出した喜びに躍る心と、燃えるような決意が誌面から立ち上がる。2008年に発行されたaileには、「NPO法人我がまちの縁側」をオープンして一周年を迎えた酒井まゆみさんの起業物語が掲載されている。

◇◆◇
12年にわたり特別養護老人ホームに勤務し、人の最期の時間をともに過ごす仕事に誇りを感じていた酒井さん。しかし、最愛の母が病に倒れた時に「施設に入れたくない、自宅で看取りたい」という自らの思いに気づく。施設の管理者である自分が、家族は施設に入れたくないと感じてしまう。酒井さんはその葛藤から目をそらさず「介護とは何か」「ケアとは何か」という問いに真正面からぶつかっていった。
その後「起業の学校」に二期生として入学。とことん自分と向き合い、2007年7月に「NPO法人我がまちの縁側」を設立。同年11月に「デイサービスセンターだいふく」「駄菓子屋紙ふうせん」をオープンさせた。介護やケアについて考えるうち、酒井さんは「高齢者に限らず、子どもも大人も誰もが自分の居場所があると感じられ、生きていていい、ありのままでいいと思える場所を作りたい」と確信するようになっていた。開設から一年が経ち、「だいふく」を利用する人も増えてきた。酒井さんは「来年からは“地域の茶の間事業”を始めたい」と声を弾ませる。誰でも気軽に立ち寄れる場所があって、人と人をつなぎながら、刈谷を安心して楽しく暮らせるまちにしたい―。
◇◆◇

そう語ってから半年を待たずして、突然がんが見つかり、翌年8月に酒井さんは帰らぬ人となってしまう。
情熱的でパワフル、たくさんの人をどんどん巻き込むリーダーだった酒井さんの思いを継いで「我がまちの縁側」の代表となったのが、野島美智子さんだ。

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精神保健福祉士との出会い

「小さい頃から一人の時間が好きで、人付き合いは大の苦手。だからこそ、挑戦しなきゃ!と思って、接客の仕事を選びました」。
野島さんが短大卒業後に就職したのはアパレル関連の企業。地下街などの店舗の販売員として働いていた。
「とても人を大切にする企業でした。お客様の買われた商品は全部記録して覚えて、次に来店された時にはお店がお客様のクローゼットであるかのように接客しなさい、と教わりました」

社員の育成にも熱心な会社だった。華やかに見えて販売の仕事はストレスも大きく、若くして職場を去る人が少なくない。研修の一つとして行われたメンタルヘルスの講座に興味を持ち、野島さんは働きながら心理学を学ぶため大学に編入する。販売の仕事に生かそうと考えてのことだったが、野島さんはそこで精神保健福祉士という職種を知る。

「実習で訪れた精神科病棟で、依存症や摂食障害、統合失調症といった疾患を抱える人たちと出会いました。かつてはまじめに、ふつうに暮らしていた人たちが、と衝撃を受けました。

当時は障害者の中でも、特に精神障害者はマイノリティ。世間にもほとんど知られておらず、偏見も強い。そんな中で、精神障害を抱える人が退院した後の、地域での暮らしを支えていたのが精神保健福祉士でした。」

精神障害者は病院にいるのが当たり前、という風潮が根強かった時代。精神障害者を支える制度も人々の理解も十分でない中、患者とともに奮闘する精神保健福祉士たち。その姿を目の当たりにした野島さんは、会社を辞めて自らも精神保健福祉士を志した。

障害がある人も暮らせる地域に

精神保健福祉士となった野島さんの最初の職場は医療機関だった。退院後の患者さんの住居や、生活をサポートする施設や作業所を探しコーディネートする。
「今ほど多くの施設も、公的な制度も無かった時代。苦労も多かったですが、自分の工夫次第で患者さん一人ひとりに合った支援ができる職人技のようなスキルが求められ、鍛えられました。とはいえ、最初は患者さんよりも自分が先回りしてお手伝いしてしまい、かえってご本人を依存させてしまったと感じたこともあります。支援とは何か、自立とは何か。悩みながら学んだ時期でした」。

病院の次に勤めた職場が、刈谷市の障害者の作業所だ。当時の「作業所」、障害者の働く場所は、子どもたちの将来を案じた障害者の親の会が母体となって立ち上げることが多かった。

「どこにも頼ることが出来ない中、親の会の皆さんが懸命に作ってきた場でした。けれど、親御さんたちの思いと、私たちが専門職として見た、障害者ご本人の望む暮らしの実現の方法は違うと感じるところもありました。
家族だからこそできるサポートと、専門職が関わることでできるその人らしい生き方の応援。二つを両立するため、法人化を機に作業所は家族会から独立することになりました。」

野島さんが酒井さんと出会ったのは、法人を立ち上げた頃。刈谷市のまちづくり活動に関わる中でのことだった。酒井さんはすでに高齢者デイサービスの事業を構想していた。
「当時から“デイサービスは手段、目的はまちづくり”だとはっきりおっしゃっていました。町の中で、孤立してしまっている人が気になるんだと。私も、精神障害のある人がふつうに暮らしの中にいる、そんな地域にと考えていたので、気が合ったのでしょうね。それに、誰しも年をとって、できないことが増えていくのは、障害を持つことと同じかもしれないと思って・・・」。

高齢者支援とまちづくりの意味

そんな中での、突然の酒井さんの死だった。法人のスタッフはもちろん、刈谷で酒井さんと「「我がまちの縁側」に関わっていた人たちが集まり、これからどうするべきかと話し合いを重ねた。

「私は病気が分かる前の酒井さんに一緒にやらないかと声をかけていただいたことがありました。当時は作業所の仕事があったので、すぐにお返事はできませんでした。その後、闘病中の酒井さんから残された時間のことを打ち明けられ、代表として「我がまちの縁側」を引き継いでもらえないかと言われたのです。
私もデイサービスは初めての仕事だったけれど、不思議と「できない」とは思わなかったんです。一緒にまちづくりの活動をする中で、酒井さんが描いていた思いをよく聞いていたし、私もそれを叶えたいと思っていたから。そして「我がまちの縁側」と、関わる刈谷の人たちと一緒なら、できると信じていたので」。

しかし、高齢者に関わる仕事は野島さんにとって想像した以上に未知の領域だった。
「周りには、私は高齢者支援も介護保険も初めてと伝えて、十分に理解して受け入れて、支えていただいたと思います。
でも、私自身が“高齢者と関わる”ことをどう捉えるか、どんな意味を見つけていくかにはとても苦心しました」。

「我がまちの縁側」に関わる以前は、デイサービスが人の人生の最後の大切な場所であることは分かっても、どうしても介護されているお年寄りを「未来がある人」「何かができる人」とは思えなかった。まして自分は介護職員ではない。食事や入浴の介助で、直接役に立つこともできない。酒井さんから引き継いだ理想を実現したいからこそ、目の前にいる人たちとの間に、覆いがたく立ちはだかる壁を大きく感じた。

答えはやはり「だいふく」の日々の中にしかなかった。分からないなりに、ともにご飯を食べ、ゲームをし続ける時間は長かった。しかし、一人ひとりと少しずつ話をする中に、家族から話を聞くうちに、だいふくにいる人の「今」がどう作られてきたのかが分かり、その人の生が立体的に現われてきた。老いていくことに対するイメージが鮮やかな色彩を持つようになった。

「この人たちは“何も出来ない”人ではない。年だから、病気だからと“何もしなくていい”とレッテルを貼られてしまった人だったんだ、と。でも、そんなことはないですよね」。
NPO法人我がまちの縁側の定款にはこうある。

この法人は、つながりを失い孤立したかのような人々に対して、再びふれあうことのできる場と機会を提供するための「我がまちの縁側」を立上げ、高齢者の介護及び付帯事業をはじめとし、人々が互いに支え合い助け合いながら多様に交流することにより、子供から高齢者まで住民一人ひとりが安心して“その人らしく”主体的にイキイキと暮らすことのできる地域社会の実現に寄与することを目的とする。

人々は孤立しているのではなく「孤立したかのように」見えるだけなのではないか。多様な交流の中でこそレッテルが剥がされ、“その人らしく”生きていける道が開かれるのではないだろうか。

つながっていく人の縁

「介護職員ではない自分ができることは、“まち”に働きかけること」と野島さんは考えた。それは精神障害のある人たちと共に住まいを探したり、一緒に働いてきた精神保健福祉士の本領でもあったのだろう。

地域の有志と一緒に地元の神社で始めた「ご縁市」は三年目を迎えた。商店街の店舗や趣味のサークルの人たちが小さなお店を出し、元気なおじさんたちが手づくりの小さな汽車を走らせて子どもたちを喜ばせた。コロナ禍で少しお休みしているが、「まちの知り合いづくり」の機会になっていたという。

「私たちも “だいふく”や駄菓子屋を知ってもらい、町の人たちの声を聞かせていただいて、少しずつこの地域のことが分かってきました」
野島さんは、これからは高齢者の「元気な姿」にもっとスポットを当てる活動ができたらと構想中だ。だいふくの利用者さんが、お正月に着物を着るイベントをしたらぱあっと表情が華やいだこと。はりきって「ご縁市」の企画や準備に奔走するシニアの人たち。

「年老いて介護が必要になる人もいるし、そうでない人もいる。高齢社会と言われるけれど、仕事や子育てを終えてからも楽しく、“その人らしく”生き生き暮らす人たちをたくさんの人に知ってもらいたい。寿命が長くなった今、これまでよりももっと、自分の時間や自分の“いのちの使い方”を考えることが大事な時代になるのでしょうね」。

一人の人生だけでは、叶えられないものがある。だからこそつながり、継がれていく思いがあるのだろう。それが“縁”と呼ばれるものではないだろうか。

■ 取材/久野美奈子(起業支援ネット代表)・石黒好美(フリーライター/社会福祉士)
■ 文/石黒好美
■ 写真/梶景子(となりのデザイン)
会報誌aile116号(2022年3月号)掲載

特定非営利活動法人 我がまちの縁側
■事業内容
・地域密着型通所介護 デイサービスセンターだいふく
・子どもの交流スペース事業 駄菓子屋紙ふうせん
・高齢者生きがい支援事業
・まちづくりサポート事業
・地域住民交流事業
・高齢者福祉の向上に関する調査研究・啓発・政策提言事業
■理念
子どもから高齢者まで住民ひとりひとりが“その人らしく”イキイキと主体的に暮らすことのできる地域にしたい
■連絡先
〒448-0844 愛知県刈谷市広小路6丁目96番地1
TEL 0566-63-6803 メール npo-wagamachi@katch.ne.jp

 

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