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起業物語[aile vol.117]

隣り合えば、力になる

土肥りさ(どひ りさ)さん NPO法人PakaPaka事務局長
聖隷介護福祉専門学校で介護福祉士を取得。高齢者施設に介護職として5年勤務後、日本福祉大学社会福祉学部社会福祉学科に社会人編入。卒業後に専門学校の講師、障害者の生活支援に携わった後、長男が自閉症であったことをきっかけに夫とともにNPO法人PakaPakaを設立。支援者と親の両方の立場を知ることを強みに、発達障がい児の家族をサポートする活動に取り組んでいる。

「自閉症やAD/HDや学習障害などの発達障害は、障害福祉の谷間にとりのこされた障害であり、障害特性に合わせた支援を得ることはできない」

――何度も何度も耳にして、そのたびに暗鬱な思いにとらわれたことばです。

「発達障害に対する支援が必要です!」とどれだけ切実な願いを伝えても、現実は厳しく、その時その場で自分たちでなんとかするしかなかった。いつしか声を上げることにも疲れ果て、ひたすら日々の生活を生き抜くことに懸命になる。それが、発達障害をもつ本人と家族の毎日でした。(カイパパ編著『ぼくらの発達障害者支援法』ぶどう社、2005年)

二〇〇五年に自閉症の子どもを持つある父親が書いた文章だ。衝動的に行動したり、大きな声を上げてしまうことがある。全く集中できなかったり、集中しすぎたりしてしまう。感覚が過敏、強いこだわりを持っている、知的障害があることもあれば、ないこともある…。特性に個人差が大きいこと、適切な支援方法が知られてこなかったことなどから「よく分からない」「困った人」として、学校でも職場でも地域でも孤立してしまう。そんな発達障害者の日常があった。

そんな中、発達障害者の親の会の後押しにより成立した「発達障害者支援法」が同年四月から施行された。各地に「発達障害者支援センター」が設置され、メディアが発達障害について取り上げることも増えた。「特別支援教育コーディネーター」のいる学校や、障害のある子どもたちが通える放課後等デイサービス、そして発達障害者の就労をサポートする施設も増えた。この15年あまりで、発達障害者の生活を支える制度やサービスは驚くほど増えた。

では、自分の子どもに発達障害があると分かったとき、安心していられる人はどれくらい増えただろうか。愛知県の南部、知多半島に拠点を置くNPO法人PakaPakaの土肥りささんは、長男が自閉症かもしれないと気づいた時のことをこう話す。
「私は結婚前に障がい児のヘルパーをした経験もありました。でも、自分の子に障害があると言われた時には信じられなくて。大きな不安しかありませんでした。」

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介護のジレンマから福祉の道へ

土肥さんが生まれ育ったのは静岡県浜松市。高校卒業後、専門学校で介護福祉士の資格を取った後、地元の介護老人保健施設で働いた。
「私が働き始めた頃はまだ何十人もの方を少ない介護スタッフがいっぺんに見る施設がほとんど。私の職場でも、呼び出しのコールが一斉に鳴って大わらわ、ということがよくありました。」
土肥さんは効率よく業務を段取りし、入所者一人ひとりの状況を頭に入れ優先順位を付けて対応した。働きぶりが評価され、入職して3年ほどで職場のリーダー的な役割を任されることになった。
「忙しすぎて入所者さんから目を離してしまい、転倒などの事故が起こる。どうすればいいのかと悩みました。

一緒に働く職員を見ていると、とにかく早く仕事を終わらせようとする人もいれば、びっくりするほど細かくやっている人もいました。介護の仕事は同じ三年間の経験でも、職場環境によって積み重ねられるものが全く違うと感じました。」

20代前半の自分がずっと年上の人を指導しなければならないこともあった。介護現場での人材育成について考え始めたと同時に、自身のキャリアも見つめ直すようになった。
「きちんと理論を学んで、介護について教えられるようになりたい。」
土肥さんは、25歳の時に初めて実家を出て、介護福祉士の養成校の教員を目指し知多半島にある日本福祉大学に編入した。

利用者に育てられる

日本福祉大学には障害のある学生も多く通う。しかし土肥さんが編入した二〇〇〇年頃には大学の最寄り駅にもエレベーターがなく、車いすの学生は周りの人に抱えてもらって階段を昇降するしかなかった。こうした状況に疑問を持った学生たちが障害者のヘルパー事業所「NPO法人チャレンジド」を設立しようとしていた時でもあった。介護福祉士の土肥さんに、チャレンジドで働かないかと声がかかった。

「人づてに紹介されて、ご自身も車いす使用者である理事長の辻直哉さんと初めてお話ししました。私には施設で5年勤めてきた自負があったんですけど、辻さんには『俺の立場からしたら、支えてくれるヘルパーに資格があるかどうかはそんなに関係ないんだよね』と言われて衝撃を受けました。
それまでの自分が打ち壊された気持ちになって、何か私にお手伝いできることがあればと。」

チャレンジドで目の当たりにしたのは、地域で暮らす障害者の姿だった。施設では次のシフトの人に仕事を残さないようテキパキと動いてきた。
「辻さんのヘルパーに入ったときに『僕は今静かに過ごしたいから、そんなにパタパタ動かないで』と言われてしまって。
私たちが何でもやってしまうのではなく、その人が何をしてほしいか。本人が求める生活を支えることが大事なのだと気づきました。
同時に、障害のある人自身も自分の状態や気持ち、どんな支援が必要なのかを伝える必要があるということも。その意志を受け止めたり、伝える力を付けるサポートをするのも私たちの仕事なのかもしれないと感じました。」

障害学生はもちろん、大学のある美浜町に住む障害のある人たちからも「今まではヘルパーが見つけられずどこにも出かけられなかった」という問合せが相次いだ。
「若い学生ばかりの団体で『もっとしっかりしなさい』とよく叱られていました。利用される方も『自分たちが支援者を育てなければ』という気持ちでおられたのだと思います。」

自分の周りに壁を作って

土肥さんは同じくチャレンジドで働いていた克也さんと結婚。出産を機に仕事を辞めた。二〇〇六年に長男が誕生し、一歳半になった頃に次男が生まれた。浜松出身の土肥さんには、周りに子育ての相談ができる人はいない。子育てサークルに入ると、他の子に比べ長男の発達が遅れているのが気になった。下の子の出産後で体調も安定せず、心が塞いでいった。

「夫も立ち上げたばかりの小さなNPOの職員で、周りから『本当に子育てできるの?』なんて言われたこともありました。心配していただいていたのでしょうが、そう言われると反発心というか、意地でも自分たちで何とかしてやろうという気持ちにもなってしまって。
長男を障がい児だと思いたくない私、そんな私を受け入れられない自分もいて…。保健師さんと面談した時に『弟が産まれたばかりで“赤ちゃん返り”しているだけです』と言い張ったこともありました。」

一方、夫の克也さんは違った。障害者支援の経験が長く、日常的に自閉症の人たちと関わっていた克也さんは、長男のために一刻も早く適切な療育の場をと考えていた。障害をなかなか受け入れられない土肥さんと、専門的なケアを今すぐにと考える克也さんは度々衝突した。

「他人の言葉に傷つくくらいなら、壁を作って誰とも会わずにいよう…なんて思って。子どもとだけ向き合って暮らすようにしていたら、少しずつ私も子どもも落ち着いてきました。長男の3歳児健診の時に、普通に保育園に入るのは難しいから療育に通った方がいいと、やっと自分でも納得できるようになったんです。」

「民間を探してください」

土肥さん一家が住んでいた美浜町は人口二万五千人ほどの小さな町だ。自閉症児の療育を受けるためには、隣の常滑市まで車で通わなければならなかった。さらに療育のクラスは親子で一緒に受けなければならない。次男はまだ1歳だった。

「下の子は預けられるなら預けてくださいと保健師さんに言われて、預けられるところあるんですかって聞いたら、公立の保育園はどこも空いていないと。じゃあどうしたらいいんですかって聞くと『民間を探してください』って。」
やっと誰かに頼ろうと思えたのに「あとはご自分で」と突き放されたように感じ、土肥さんは呆然とする。
「今の自分ならそんなのおかしい!って言い返すんですけど、当時は『自分はちゃんと子育てができていないって』という自信のなさから、何も言えなくて。」

認可外保育園を探し、毎日半田市に次男を預けてから長男と常滑市の療育に通い、帰りにまた次男を迎えに行って帰る。夜には克也さんが学んできた個別療育のセッションを自ら長男に行う。
「当時は発達障がいの早期療育についての情報はほとんどない時代。今思えば、夫もすごく焦っていたのでしょうね。やっと見つけたABA(応用行動分析)という手法を学ぶために大阪や九州まで泊まりがけで研修を受けに行ったり。夜も3歳の長男と10時頃までセッションをしていて。私はとてもついて行けなくて、そこまでやる必要があるのって大げんかになったりもしました。」

そんな時に出会ったのが、武豊町の保育園でABAを用いた療育を行っていたアイズサポートの伊藤久志さんだった。
「うちの場合は家でのセッションは1日15分で大丈夫、とアドバイスしてくださったんです。」
その後克也さんは伊藤氏のスーパーバイズを受けてABAを用いた療育の手法を身につけ、独立してNPO法人PakaPakaを設立する大きな後押しになった。

ピアサポーターだからできること

NPO法人PakaPakaの一番の特徴は「発達障がい児の支援」と「発達障がい児の親やきょうだい児の支援」の両軸で活動していることだ。
「夫はABAで専門的な療育を、私は発達障がい児の親を支える役割を担いたいと初めから考えていました。『民間を探してください』と言われて何も言えなかった悔しさ、そして専門的な知識や制度をそれぞれの家庭に合った形で取り入れる必要性を痛感しました。だから、私は家族をバックアップする方法を追求したいと。」

PakaPakaでは発達障がい児の親子を対象に、子どもに合った声かけや目標設定の仕方を学ぶ「ペアレントトレーニング」や、子育てサポート講座と座談会をセットにした子育てサロンを開催している。

「何より私自身が『親だって大変なんです!』と叫びたくなる日々を送っていました。でも、母親たるもの弱音を吐いてはいけない、子どものせいにしているようでつらさを口に出せない、という気持ちが多くのお母さんたちの中にはまだまだあると思うんです。
座談会では支援者というよりは、私も一人の当事者としてお話を聞かせてもらっています。焦るよね、不安だよねと聞いていると、お母さんたちから『ここなら話していいんだ』という言葉が出てくるんです。」

加えて、かつての土肥さんのように兄弟の預け先に困ったり、親自身が心身の調子を崩していたり、老親の介護も重なっていたりと、「発達障がい児の親」といってもその悩みは一様ではない。子どもの発達については相談できる専門家がいても、その背景にある問題は、誰に話していいのかすら分からない。
「同じような経験をした親同士であればその気持ちを受け止められるし、状況を細やかに想像した上での情報提供ができる。『どんなサービスが使えるかどうかだけでも、聞きに行ってみたら』というアドバイスの伝わり方が、支援者から言うのとでは違うんです。」

PakaPakaでは発達障がい児の親であるという立場から他の親をサポートする「ピアサポーター」を養成している。子どもの発達に関しては、療育スタッフが専門性を持って支えていく。発達障がい児の家族が抱える様々な課題を受け止め、必要な場所やサービスとつなげる場面では、ピアサポーターがサポートする。

「昔に比べると最近では使えるサービスも発達障がいについての情報も驚くほど増えました。選択肢が増えたからこそ悩んでしまうし、親の課題もますます多様化していると感じます。」
土肥さんたちが毎月コツコツと続けてきた座談会の必要性が認められ、現在ではペアレントプログラムとペアレントトレーニングは半田市と武豊町からの委託事業としても行われている。

『友達以上、専門家未満』の関係

PakaPakaのピアサポーターの鉄則は「先輩風を吹かせない」ことだともいう。
「うちの子はこうだったから、あなたの子も大丈夫、といった根拠のない話は絶対にしない。基本は傾聴と情報提供。ピアサポーターは『友達以上、専門家未満』くらいの存在です。」
何かを解決することや、気持ちを丸ごと理解することは難しい。でも、その人の不安やつらさごと受け止めて、傍で思いを語り合い、経験から得た知を分け合うことならばできるかもしれない。

「私も子育てで自信を失って、助けてくれる人や制度の隙間から落ちて孤立してしまっていた。でも、落ちている時ってなかなか声を上げられないし、落ちていること自体に気がつかないこともある。孤独って、全部見えなくしちゃうんですよ。いろんなものが見えなくなる。
落ちている人と私たちを繋げられるのは、やっぱり落ちたことがある人なのかなと。地域の課題を地域で解決していく上でも、ピアサポーターのような人がますます必要になってくると思っています。」

誰かに向き合い、一人にしないことは特別な知識や能力がなくてもできる。見えていなかった世界を優しく、豊かで面白いものにしていく力は誰にでもある。土肥さんが何度も「自分が専門家としてできることは少ない」と話すのは、そう信じていることのあらわれのようにも感じる。

「進んでいくのは本人なので、専門職としてもピアサポーターとしても、できることはそんなに大きくないかもとは思うんです。
私、おばあちゃんになったら居酒屋を開きたいと思っていて。(笑)大したことはできなくても、暗い顔をしている人を見たら『ちょっとご飯食べていきな』って言える人になりたい。PakaPakaとしても、もっと気楽に来て相談できる場所が作れるといいなって思っています。」

■ 取材・文/石黒好美(フリーライター/社会福祉士)
■ 写真/梶景子(となりのデザイン)
会報誌aile117号(2022年6月号)掲載

NPO法人PakaPaka
■事業内容
・ABA(応用行動分析)を用いた発達障がい児の個別療育、小集団療育
・発達障がい児や発達に不安のある子どもの家族向けのペアレントトレーニング、子育てサロン
・地域住民や支援者向けの発達支援講座 など
■理念
きみの世界をおもしろく
■連絡先
愛知県知多郡武豊町字熊野51番地2–3
TEL:0569-77-0492 メールoffice@paka-paka.net
http://paka-paka.net/

 

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