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起業物語[aile vol.125]

「食」で人と社会を支える ~作る・繋ぐ・仕掛ける 管理栄養士という生き方

黒栁桂子(くろやなぎけいこ)さん
1969年、愛知県岡崎市生まれ。管理栄養士(法務技官・岡崎医療刑務所勤務)。椙山女学園大学家政学部(現生活科学部)卒業。老人施設や病院勤務を経て、出産育児を機に料理教室や講演等の食育活動をスタート。10年間開催した「男の料理教室」ではのべ1000人の高齢男性に指導。2012年、刑務所の管理栄養士採用試験では30倍の狭き門を突破し、採用される。2023年、その日々を綴った『めざせ! ムショラン三ツ星 刑務所栄養士、今日も受刑者とクサくないメシ作ります』(朝日新聞出版、2023)を出版。現在も刑務所勤務を続けながら、講演活動などにも力を入れている。

読書の楽しみのひとつは、日常の中では知りえない世界に触れることにあるのではないだろうか。管理栄養士の黒栁桂子さんが刑務所の中の「食」にまつわるあれこれをいきいきとした筆致で描いた『めざせ! ムショラン三ツ星 刑務所栄養士、今日も受刑者とクサくないメシ作ります』(朝日新聞出版、2023)もそんな一冊。

法務省の専門職である「法務技官」の管理栄養士は全国に20名ほどしかいない「希少種」だという。そのレアな立ち位置で黒栁さんが出会ってきた日常を、軽快で勢いのある文体でぐいぐいと読ませていく。読者は刑務所ならではの様々なルールに驚き、食事を作ること、食べることが、人が生きる上での根源的な営みであることに想いを馳せる。黒栁さんの仕事上のチームメイトとも言える受刑者の面々との距離感も絶妙で、カラリとしていながら、とても温かい。

「起業していないのにいいのかな」と言いながら取材を受けてくださった黒栁さん。アントレプレナー(起業家)の語源はフランス語の「entreprendre(始める、試みる、引き受ける)」だという。思いがけないことも起こる自らの人生を引き受け、その時々の選択を主体的にしているならば、人は誰でも起業家だとも言える。

公務員という立場での出版には様々な困難もあったと言うが、そんなプロセスを伺う取材の時間も爆笑の連続。黒栁さんのこれまでの道のりを聞いた。

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気がつけば料理は自分の役割だった

黒栁さんが自ら食事を作り始めたのは、まだ小学校に入学する前のことだったという。「両親が自営業だったので、祖母に面倒を見てもらっていたんですけど、祖母の料理がめちゃくちゃ不味かったんですよ(笑)。おばあちゃんの料理を食べるくらいだったら自分で作る!ってなって。親の手伝いをしながら料理を覚えて、小学校2年生の時には魚の三枚おろしができましたし、友だちが家に遊びに来た時は自分でドーナツを揚げていました」。もともと手先が器用な子どもだったこともあるのだろうが、包丁を持つことも、揚げ物をすることも親に止められることもなく、黒栁さんの日常の一部になっていった。「そのままでは食べられない食材も、処理して手を加えていくことで美しく、美味しくなっていく。それが楽しかった」。

ごく自然に食に関わる資格を取りたいと思うようになり、大学では管理栄養士という国家資格を取得。しかし、当時は管理栄養士の専門性が社会の中で理解されておらず、待遇もよくなかった。資格を活かした働き先を見つけることも困難だったという。

「条件で選んでいたら管理栄養士としての就職先が全部なくなってしまって。それでもなにか仕事はしなければと事務職として就職しました。名古屋の職場だったので、バーゲンやランチに行くのは楽しかった(笑)。でも、女性は入ったらすぐ辞めてもらって、また新しい女性を入れて…みたいなことがまかり通っていた時代でもあって、結局、やっぱり資格を活かした仕事をしようと豊橋の老人ホームに転職しました」。

が、管理栄養士としての仕事に意気込んでいた矢先、当時、結婚を前提につきあっていた男性が不慮の事故で寝たきりの生活を送ることとなった。遠方の彼の看病に通うため、半年で退職。看病の合間にひたすらアルバイトをするという生活が始まった。「でもせっかく大学まで出して資格も取らせてくれた親に申し訳ないなっていう気持ちもあったんですよね。それで、若干こじつけではあるんですけど、実はもっと勉強したいことがあるって言って、当時出始めだったフードコーディネーター養成講座に東京まで通いました」。

起業という働き方との出会い

その彼とは疎遠となってしまったが、東京での学びや出会いには大いに刺激を受けた。「東京には自分で独立して仕事をしようとしている女性たちがいたんです。自分の身の回りにはまだそういう働き方をしている人はいなかったし、一方で働きたいと思える職場にもなかなか出会えなかった。そうか、自分で会社ってつくれる んだ、そういう選択肢があるんだっていう発見になりました」。

その後結婚出産を経て、起業についても真剣に考えるようになり、地元の自治体や商工会が主催する起業セミナーにも顔を出した。ただ、退職後の男性が主なターゲットで、黒栁さんが求めているものとはズレがあると感じていた。そんな中、たまたま見かけたチラシで「女性のための起業相談」を知り、当時起業支援ネットの代表理事だった関戸美恵子と出会った。関戸からの誘いを受け、起業支援ネットが主催する起業コンテストに出場、見事グランプリを獲得する。その当時のビジネスプランはどのようなものだったのだろうか。「管理栄養士が必要とされる分野は多岐に渡ります。病院や老人ホーム、学校、食育、料理。でも一人の管理栄養士がその全ての分野を極めるのは難しい。だったら、管理栄養士のネットワークをつくって、得意分野が活かせるように自分がコーディネートしたらいいんじゃないかなと思ったんです」。

そのプランの実現に向けて、まずは広く浅くでもいいから様々な分野を知る必要があると考えた黒栁さん。「いろんな分野を転々としながらいつか起業につながればいいなと思っていました」。男性のための料理教室や食育の活動を自ら立ち上げつつ、老人ホーム、病院、小学校、中学校と様々な場所で勤務しながら献立作り、栄養指導などにも携わってきた。しかし転機は突然訪れた。

思いがけない転機・思いがけない職場

ある日勤務していた小学校の校長先生から「次年度の更新はない」と伝えられた。当時、黒栁さんは新たにできた栄養教諭の資格取得をし、 次のステップに移ろうと考えていた。「離婚したので、正社員になって自宅のローンを返そうと思っていたんですよね。でも栄養教諭資格の一般教養の試験の免除を受けるには実務経験が3日足りなかった。さてどうしようと求人検索したところ、刑務所での仕事に出会ったんです」。

狭き門を突破して、見事採用された黒栁さんだったが、当初は驚きの連続だったという。「そもそも刑務所の給食をつくっているのが受刑者だということも知らなかったし、彼らに作り方を教えるのが自分の仕事だということもわかっていなかった(笑)。最初はやっぱり怖かったですよ。切れ味がそんなによくないとはいえ、彼らが包丁を持っている場面に居合わせるわけだし、背後に立たれないようになるべく壁際に立ったりもしました」。

ここから先のあれこれは、黒栁さんの著書『めざせ! ムショラン三ツ星 刑務所栄養士、 今日も受刑者とクサくないメシ作ります』に詳しいのでぜひお読みいただきたいが、黒栁さんはこれまでの「食」についての知識と技術だけでなく、その度胸と人柄で刑務所の中でなくてはならない存在になっていったようだ。「最近は“わたしを怒らせたらご飯がまずくなるよ”って言って脅しているので、みんなよく言うことを聞いてくれます(笑)。文字通り胃袋を掴んでます」。

著書を読むと、思いもかけない出来事に驚きながらもどこかで面白がり、むしろそれをきっかけに現状を変えていこうとする黒栁さんの姿勢に惚れ惚れする。なにが原動力になっているのだろうか。「うーん、シンプルに“美味かったです”とか“先生のおかげ”って言われるのが嬉しいんですよね。思えば、うちの父も元夫も料理を褒めるということがない、褒めたら負けって思っているタイプで、わたしは褒められたことが一度もないんです。褒められる喜びがあるから、もっとあんなこともやってやろう、驚かせようって力を注ぐことになってしまいました(笑)」。

出版、そしてこれからへ

刑務所というそれまでの日常には縁のなかった世界、そしてそこで出会う人々や起こる出来事が黒栁さんにとってはとても新鮮で面白かったという。「なんとなく自分の中で“これは”と思う受刑者との会話を書き留めたりしてたんです。それで、本にするのはどうだろうと思って、出版コンサルタントに相談したり、出版企画コンテストに応募してみました」。そこでのアドバイスを踏まえ、15社ほどの出版社に企画書を送付。山のように届くであろう企画書の中で、編集者に確実に読んでもらうための工夫も施した。「すでに出版されている同じ分野の書籍の感想を添えて、その担当編集者宛に送りました」。企画力、表現力だけでなく、そうした地道な努力が実を結び、書籍発行に向けての準備が進み始めた。

もともと文章を書くのはお得意だったのだろうか?「書くことが得意だと思ったことはないんですよ。長い文章を書くのは大学の卒業論文以来ですし(笑)。一応、文章の書き方の本を買って読んだりはしましたが、やっぱり担当編集者の方が敏腕だったんだと思います。とにかく思いつくまま自由に書いてくださいって言ってくださって、送った文章に対してこれはどういう意味ですか?この時この人はどんな表情だったんですか?って的確に聞いてくださる。それを踏まえて書き換えていくとどんどん文章が洗練されていくのが自分でもわかって、とても楽しくできました」。

一方、職場の中では軋轢もあった。現役の公務員による出版ということで、黒栁さんはきちんと職場のルールにのっとり、出版のための手続きも進めていたのだが、内容について一部から「けしからん」と物言いがついたのだ。「一時は本当に出版できないかもしれないと落ち込みました。でも、こんな無名のわたしの書籍を商業出版で出そうと思ってくれた人がいるということは、きっとマーケティング的にも勝算あってのこと。狭い業界の評価よりもそちらを信じようとは思っていました」。そして、黒栁さんには物おじせず裏表のない人柄で培ってきたこれまでの様々なネットワークがあった。そうした縁がつながり、最終的には 出版が認められることになったのだ。「おかげさまで今は書籍の評判がいいので、なんだか認めざるを得ないみたいな感じなっています(笑)」。

出版をきっかけに講演依頼も増えており、黒栁さんは積極的に対応している。「公務員+αの働き方がしたいなと思っているんです。あまり知られていない刑務所での実態を知ってもらうことで、何かを感じてもらえたらと思っています」。

さらに黒栁さんにはもう少し先の「やりたいこと」もある。「“おじさん食堂”をつくりたいんですよ。おじさんのおじさんによるおじさんのための食堂。実は名前も“Gメン75”って決めていて(笑)。プライドが高くて下手なところに出ていくことができず、余力があるのに引きこもってしまっている男性が地域にはいる。そういうおじさんたちが料理を通じて社会とのつながりや、誰かに貢献しているという感覚を得て元気になったらいいんじゃないかな」。

黒栁さんが幼い頃から必要に迫られて携わってきた料理という営み。その中には生きる知恵、人とのつながり、社会への信頼、様々なものが詰まっている。

黒栁さんは、今日も、そしてこれからも、誰かの小さな喜びを生み出すために、食を通じてたくさんの人と関わり続けていく。まだまだ黒栁さんの周りには「面白いこと」が起こるはず。物語はまだ始まったばかりだ。

 

■ 取材/久野美奈子(起業支援ネット代表)
■ 文 /久野美奈子(起業支援ネット代表)
■ 写真/梶景子(となりのデザイン)
会報誌aile125号(2024年6月号)掲載

『めざせ! ムショラン三ツ星 刑務所栄養士、今日も受刑者とクサくないメシ作ります』(朝日新聞出版、2023) 

 

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