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起業物語[aile vol.121]

人の“もやもや”にこそ、よりそっていきたい

後藤美樹(ごとうみき)さん 外国人ヘルプライン東海代表
兵庫県神戸市出身。大阪外国語大学外国語学部インドネシアフィリピン語学科、名古屋大学国際言語文化研究科を修了。学生時代にフィリピン留学を経験した後、阪神・淡路大震災の際に被災した外国人への通訳などの支援に関わる。名古屋大学国際開発研究科博士課程への進学を機に名古屋でもフィリピン人の支援に携わるようになる。愛知県国際交流協会の多文化ソーシャルワーカー、名古屋市の女性相談員、NPO法人多文化共生リソースセンター東海スタッフなどを経て現職。

コンビニエンスストアや飲食店で働く外国人を見ない日はない。製造業や介護、農業や漁業の現場も、多くの外国人が支えているという。現在、日本に住む外国人はおよそ296万人。愛知県内だけでも約28万人が暮らしている。
私たちの生活を支えてくれている外国人労働者だが、職場でのハラスメントや長時間労働、賃金に関するトラブルを被ることも少なくない。役所に行っても、近所づきあいでも、言葉や習慣が分からず不安を感じたり、理不尽な扱いを受ける外国人もいるという。
後藤美樹さんが代表を務める団体「外国人ヘルプライン東海」では、電話やメールなどで名古屋とその近郊の地域に住む外国人を対象にした「なんでも相談」を行っている。日本語・英語・タガログ語・スペイン語・ポルトガル語・中国語・ネパール語・ベトナム語といった言語での対応が可能で、時には相談者の自宅に出向いたり、区役所に同行して窓口の職員とのコミュニケーションを手伝うこともある。
「在留資格や仕事にまつわる相談もあれば、生活保護申請をしたり、DVなど暴力被害者の方とお会いすることもあります」と後藤さんは語る。
時には高い専門性が求められながらも、こうした形での外国人の生活支援は比較的新しい活動ということもあり、公的な支援が得られることはまだ少ない。外国人ヘルプライン東海の活動もボランティアによって担われている部分も多い。資金面を始め様々な困難を抱えつつも、後藤さんの表情は晴れやかで、語り口も大らかだ。彼女はなぜこの仕事を選び、続けているのだろうか。

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フィリピンとの出会い

子どもの頃から「岩波少年文庫」で世界の名作を読み、父の勧めでラジオの英会話講座を聞いていた後藤さん。将来は外国に関わる仕事をしたいと、外国語大学への進学を決めた。
「当時イメージしていた“外国”はヨーロッパやアメリカ。でも、英語やフランス語の専攻は人気があって入れなくて。他の言語からどれを選ぶかとなったとき、日本から近くすぐ現地に行けそうな、フィリピンの言語を勉強しようと」。
当時、フィリピンについての知識はほとんど無かった。
「始めてみたら日本語とも英語とも全く違う発想の言語。面白くって、はまりました」。
大学3年生になり、念願叶ってフィリピンで1年間の留学を経験した。フィリピンの教育省で働く女性の家に下宿し、彼女が各地の小学校を訪問する際には後藤さんも連れて行ってくれた。
「彼女が仕事をしている間に子どもたちと遊んだり、現地の人に町を案内してもらったり。校長先生の家に泊まらせてもらったことも。観光旅行では見られないフィリピンを見られて楽しかったです」。
知らないこと、初めてのことにも「面白い!」と興味を持って飛び込んでいく。そんな後藤さんの人となりは、フレンドリーなフィリピンの人たちにも暖かく受け入れられた。
「植民地だった歴史が長いせいか、外国に比べフィリピンは後れていると思っている人が多くて。フィリピノ語を話すと『自分の国の言葉を話してくれる!』と喜ばれるんです。友だちもすぐにたくさんできました」。

震災を機にボランティアへ

留学を終えて帰国した後藤さんが直面したのが、1995年の阪神・淡路大震災だ。神戸市の実家で、見慣れた町が変わり果てた姿を目の当たりにした。
そんな時、大阪で「外国人地震情報センター」が立ち上がったことを知る。関西で外国人支援の活動をしていた団体が集まり、被災した外国人に電話相談を行うという。フィリピン語の通訳が必要と聞き、後藤さんはボランティアとして関わり始めた。
「始める前は『地震で家がなくなった』『家族と連絡が取れない』といった相談を想像していました。実際に電話を取ると『仕事がない』と言われて。地震が原因で失業したのかと聞くと『ずっと前からだ』と。
この時初めて『外国人は、地震とか関係なしにいつも困ってるんや』と気づいたんです。外国人が日本で暮らすには在留資格が必要なこと、オーバーステイ(不法滞在)となって生活が立ち行かなくなる人のことも、初めて知りました」。
発災から半年で、寄せられた相談は1000件を超えた。罹災証明の申請の仕方が分からない、義援金が受け取れない、医療費が払えない…。震災は、以前から存在していた問題を次々に明るみに出した。
外国人地震情報センターは多言語の情報誌を作ったり、外国人住民の生活に関する調査をするなど多岐にわたる活動を展開し始めた。後藤さんも活動にのめりこんだ。
「活動にはまって、バイトの時間もお金もなくなって。(笑)『仕事もないのにボランティアなんて』と言われたことも。活動だけでは食べていけないと分かっていたけれど、私はフィリピンに関わり続けたいと思ったんです」。

働きながら活動を続ける

大学院に進んだ後藤さんは、博士課程に入る際に名古屋に移り住み、2度目の留学にも行った。
「“バランガイ”と呼ばれる行政組織の調査をするため、マニラ近郊の村に住み込んでフィールドワークをしました。
私がいることは会ったことのない人まで知っているし、家を訪ねたら近所の人が「そこは留守だよ」と教えてくれる。家のドアも開けっぱなしで、子どもが遊んでいると誰がどこの家の子だか分からない。しつこいくらい「うちでご飯食べなさい」と誘われる。面倒だと思うこともあったけれど、楽しかった思い出の方が多いですね」。
この時の経験は今の相談の仕事にも役立っているという。
「バランガイの相互扶助の考え方を経験から学んだことで、相談やケースワークの時に“相手はこんな風に考えているのでは”と考えられる。“減らない貯金”みたいなものですね」。
帰国後は名古屋市にある任意団体・フィリピン移住者センターで活動しながら大学院を修了するも、研究職の仕事は得られず就職に苦労した。
「通訳としても働いたのですが、定期的にある仕事ではないから苦しくて。奨学金の返済もあり、安定した収入が欲しいと思っていました」。
活動を続けながら愛知県国際交流協会の多文化ソーシャルワーカーの仕事に就いたり、名古屋市の女性相談員としても働いた。
この頃、医療や教育、法律など様々な分野で外国人支援に携わってきたメンバーがつながり、名古屋に中間支援組織を作ろうという動きがあった。折しもリーマン・ショックで多くの外国人労働者が解雇されていた。
「起業支援ネットの代表だった関戸美恵子さんの呼びかけもあり、多くの人に必要とされる外国人支援団体を支える組織が必要だと、仲間たちと2008年に“多文化共生リソースセンター東海”という団体を設立しました」。

公的な相談窓口を担う

2011年、センターに「外国人向けの電話相談の窓口を担ってもらえないか」という依頼が持ちかけられた。
東日本大震災もまた、生活困窮や差別など日本の様々な問題をあぶり出した。こうした問題に対処するため、国は「よりそいホットライン」という電話相談窓口を設けた。多くの支援団体とつながりを持つリソースセンターに、外国人向けの相談を担ってもらえないかというものだった。
「センターは中間支援団体であり、直接の支援には関わってきませんでした。でも、メンバーは私が相談もやりたいと分かっていたから、挑戦したらと応援してくれました」。
多言語で悩みを聞き、具体的な問題解決に繋ぐ窓口が求められていることは明らかだった。しかし、多くの団体はボランティアで、メンバーが身銭を切って運営している。国の事業を担えば通訳や相談員に報酬を払える。後藤さん自身も本業として取り組める。そうなればより多くの相談を受け、きめ細やかなサポートもできるはずだ。
「確かに相談は充実しました。でも、難しいことも多かったです」。
公的な事業となれば多くの書類を整え、自分たちが決めたのではないルールに従わなければならないこともある。国としても前例のない事業で、急な変更を強いられることも少なくなかった。そのたびに関係団体や相談員との調整が必要になり、相談以外の業務もまた膨大になった。
多忙を極める中、後藤さんは自分が本当になすべきことは何かを考えた。思い浮かんだのは、各地で頑張る団体の姿だ。
「神戸に“FMわいわい”という多言語放送のコミュニティラジオがあります。資金難に陥った時、地域の人がお金を出し合い存続させたことがありました。本当に必要とされているなら、お金がなくてもみんなで力を合わせて続けていけるはず。名古屋でもそんな事業をしたいし、作らなければと考えたんです」。
かつて見たバランガイの人間関係と、何も無いところからできることを積み上げてきた日本の市民活動の現場が重なった。後藤さんは独自に外国人向けの相談事業を始めることを決めた。

解決できないことによりそう

2013年、後藤さんは「外国人ヘルプライン東海」を設立する。自らは名古屋市の配偶者暴力相談支援センターの職員となり、二足の草鞋でヘルプライン東海の事業も進めることにした。通訳や相談に携わる人に声を掛け、地域のNPOやコープあいちには事務所の一角を相談スペースとして貸してもらった。少しずつ寄付や助成金も獲得し、事業が少しずつ軌道に乗るうちに、後藤さんは相談の内容が変化してきたことに気づく。
「相談を受けたら、まずは外国人住民が公的な制度を使えるようにする支援を行いますが、最近は行政の理解が進んだこともあり、昔ほどの苦労はありません。外国人自身もSNSを使って知識を得て、相談に繋がりやすくなっています。
でも、今度は行政サービスからも外国人コミュニティからも漏れてしまう人や、それだけでは解決できない悩みを持つ人がいることに気づきました」。
発達障害や精神障害のためかコミュニケーションが上手くいかず、ずっと孤独感を抱えている人。家族との関係がこじれ、縁を切ることもできない人。使える制度があっても通訳がいても、どうにもならない問題を抱えている人がたくさんいる。
「私は多文化ソーシャルワーカーやコミュニティ通訳といった重要な仕事がボランティアや非正規雇用ばかりなのはおかしい、専門家として評価されるべきだし、関わる人もプロ意識を持って働く仕組みが必要と考え活動してきました。この思いは今も変わりません。
加えて、専門家の介入だけでは解消されない悩みを持つ人を、一人にしないで支え続けたいと思うようになりました。もやもやとして、誰にも答えが分からないことに、ああでもないこうでもないと言いながら、一緒に居続けるような…」。
ヘルプライン東海の活動は外国人の生活や人権を守るものだけれど、日本社会のためでもある、と後藤さんは語る。
「栄東まちづくり協議会という、外国人が多く住む歓楽街にある団体が多言語でのなんでも相談会を主催していて、相談をヘルプライン東海に委託してくれています。
『困っている人たちをサポートする場所がなければ、良いまちにはならない』とおっしゃっていて、本当にそうだなと思います」。
外国人との関わりなしに、日本に住む人たちの暮らしは立ち行かない。そして、仕事やお金がない、人とのつながりがなく孤立する、といった悩みを抱える日本人もまた増えている。公的な制度を作るだけでもない、既存の人間関係に頼るだけでもない支え合いの仕組みが、「どうしていいかわからないもやもや」の混沌から、生まれてくるかもしれない。

■ 取材/石黒好美(フリーライター/社会福祉士)
■ 文/石黒好美(フリーライター/社会福祉士)
■ 写真/梶景子(となりのデザイン)
会報誌aile121号(2023年6月号)掲載

外国人ヘルプライン東海
■理念
1.外国にルーツをもつ人々ひとりひとりの基本的人権と生活が保障された差別のない社会の実現
2.多様な背景をもつ人々が共に助け合って暮らせる地域社会の実現
3.ひとりひとりの困りごとを生み出すグローバルな仕組みを地域から変えていくこと
■事業内容
・相談事業
電話・メールによる外国人住民向け相談事業
・通訳派遣事業
・翻訳
■連絡先
〒460⁻0004 愛知県名古屋市中区新栄町2-3 YWCAビル7F
TEL 090-3968-5971
Mail:fhelpline.info@gmail.com
https://www.facebook.com/helpline.tokai
https://fhelplineinfo.wixsite.com/website-1

 

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