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起業物語[aile vol.114]

地域の中に「私」と「私たち」の新たな関係を創っていく

今井友乃(いまい ともの)さん 特定非営利活動法人知多地域成年後見センター 理事長
大阪府出身。夫の転勤に伴い茨城、三重、知多と転居し、2002年よりNPO法人地域福祉サポートちたスタッフとして活動。2003年に同法人事務局長に就任し、2004年より法人後見の担当となる。2008年NPO法人知多地域成年後見センター事務局長に就任、2021年より理事長。現在は知多半島内の各市町の自立支援協議会、虐待防止連絡協議会の会長をはじめ、地域福祉計画策定委員会等の委員および一般社団法人全国権利擁護支援ネットワークの事務局長も務める。趣味はお酒と、モータースポーツ観戦。

名古屋市の南に位置し、周囲を伊勢湾と三河湾に囲まれた知多半島。濃尾平野から大小さまざまの河川が流れ込む伊勢湾は豊かな漁場となり、古くは海上交通の要所として、各地の港に全国からさまざまな人と事物が往来した。
現在は5つの市と5つの町からなり、およそ60万人が住むこの半島に、先進的な取り組みが全国から注目を集めている団体がある。NPO法人知多地域成年後見センターだ。

「成年後見制度」は、認知症や知的・精神障害などのために判断能力が不十分な人を法律的に保護し、支えるための制度だ。家庭裁判所が決定した「後見人」が本人に代わって財産の管理や各種費用の支払い、入退院や福祉サービスの契約などを行う。こうした行為は家族が行うことが当然とされてきたが、少子高齢化が進む中、身寄りのない人を支え、虐待や悪徳商法の被害から高齢者や障害者を守る重要な手段の一となっている。

知多地域では2004年からNPO法人が後見人となり、地域の人の暮らしを支える活動が始まった。当時から活動に携わり、現在ではNPO法人知多地域成年後見センターの理事長を務めるのが今井友乃さんだ。今では30名を越えるスタッフとともに、500名を越える人の後見を受任する組織のトップである。
「でも、私は夫の転勤で知多に来るまで、一度も正社員として働いたことはなかったんですよ」

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みんなと一緒に怒られたかった

「私は生まれつき心臓に穴が空いていたの。小学一年で手術をしてからも体が弱くて、学校に行けるようになったのは二年生の三学期から」。
通い始めの頃は授業に慣れず「こいつこんなことも知らんねんて」とからかわれ、体育はいつも「見学」。しかし今井さんにはもっと不本意なことがあった。

「病気だからと特別扱いされるのがすごく嫌だった。優しく配慮されているように見えて、実は横に除けられていると感じて。私もみんなと一緒に怒られたかったんだよね」。それでもやっと通えるようになった学校は楽しく、勉強も得意だった。中学受験をして大阪でトップの学校に入った。
「塾の模試で全国二位をとった時、母に報告したら『なぜ一位じゃないの』と怒られて」。
家庭が厳しかったことも、学校が好きな理由の一つだった。家は裕福だったが、感情の起伏が激しい両親は、体にあざができるほどの喧嘩をすることもあった。今井さんの行動にも細かく干渉し、洋服の一枚も好きに選ぶことができなかった。
「学校の友達とは仲が良かったから、本当に助けられた。何とか家を出ようと関東の大学への進学を画策し始めたら、高校3年からまた体調が悪化してしまって」。

自宅から通える京都の大学に進学し、四年の大学生活を終えるも「普通の生活」ができるとは思っていなかった。
「私は体が弱いから働けないと思いこんでいた。会社に迷惑をかけるに違いないと」。
卒業後も就職せず、一年後に結婚するまで、知り合いの店などでアルバイトをしながら過ごした。自分には子どもも産めないかもしれないと思っていた。

NPOに就職して活躍

結婚を機に、夫の赴任先の茨城県に移り住んだ。今井さんは自分がみるみる健康を取り戻していくことに気づく。

「実家ではとても緊張して過ごしていたんでしょうね。こたつでぼーっとしていても誰にも叱られない。(笑)でも、家では習い事の費用も含めて月に10万円近くお小遣いをもらっていたのが、結婚したら、旦那の給料の手取りが13万円。うわあ、どうしようって。でも、楽しかったよ。自分で工夫して、自分で生活を組み立てていけることが」。

無事に二人の娘に恵まれ、次に住んだ三重県では子育てサークルにも関わるように。そして三番目の転勤先である知多半島で「NPO法人地域福祉サポートちた」に出会う。

「介護保険制度が始まり“ホームヘルパー”という資格が注目されていた時期。私も資格があれば働けるのではと思って、サポちた主催のヘルパー講座を受けました」。

知多半島には自動車や鉄鋼の工場にが集積し、全国から多くの人が集まる。故郷を離れた転勤族の家庭では、困ったときに家族や親類を頼れないことが多い。知多半島には介護保険よりも前から、住民同士で介護や子育てをサポートしあう「たすけあい」の活動が盛んに行われていた。こうした歴史から、知多地域には福祉系のNPOが多い。団体どうしのネットワークや学び合いを推進する中間支援組織としてできたのが「サポちた」だ。後に代表となる岡本一美さんに誘われ、今井さんは生まれて初めてサポちたに就職することになる。

サポちたは市民の自発性を生かした活動をする団体として高い評価を得ていた一方、総務や経理など、法人を支えるバックオフィス業務の整備は遅れがちだった。

「私は実家が自営業で、お金の回収や帳簿に領収書を貼る手伝いをしていたし、理系だから数字を見るのも苦にならない。大学の部活でも会計の経験があったから」。

今井さんはレシートや記録を一つずつ確かめ、コツコツと会計や事務の内容を整理していった。素直に「なぜ?どうして?」と誰にでも聞き、NPO法人の運営についても知識を蓄えた。物怖じせずに思いを主張する力はプレゼンに生かされ、助成金の獲得にも貢献した。今井さんは、いつしかサポちたのほぼ全ての業務を担当するまでになっていた。

知的障害の青年との出会い

2003年のある日、「社会福祉法人むそう」の戸枝陽基さんが相談に訪れた。利用者の知的障害のある25歳の男性、Aさんの母親ががんと診断され、余命は半年と宣告されたのだ。彼には母親のほかに身寄りがない。母親亡き後のAさんの生活を支えるため「成年後見人」が必要だという。

後見人は弁護士や司法書士、社会福祉士が個人で受任することが多い。だがAさんはまだ20代。後見人は彼が人生を全うするまで何十年も支え続ける必要がある。弁護士にも相談した結果、継続性が担保され、複数の眼で業務のチェックができ、かつ利益相反が起こらないためには、直接的な福祉サービスを行なっていない法人が後見することが望ましいとなった。その条件にぴたりと当てはまるのがサポちただった。

「同僚から『人の一生を背負う仕事を引き受けられるの?』と反対もありました。でも『今井さん、私は死ぬからよろしくね』というお母さんの頼みを断るなんてできなかった。『誰もが自分が望んだ地域で、自分らしく暮らしていけるように』というサポちたの理念にあるように、Aさんが生きることを支えなければと」。

Aさんという、ただ一人の人生を支える―それが知多地域の法人後見の原点だ。家族でなくとも、困っている人に出会ったら地域住民の手で支えていくことは、市民のたすけあいの力に育てられてきた、サポちたの矜持でもあったのだろう。

行政との協働をめざす

勇んで始めたものの、すぐに資金の問題にぶつかった。職員の人件費をどう捻出するか。Aさんには多額の報酬を支払う力はない。寄付を集めるか、任意後見も請け負ってはどうかと頭を悩ませたが、方向性を決めたのはある弁護士からの提言だ。
「『サポちたは、誰でも成年後見が使える仕組みを作るためにやっているんでしょう。そのためには、行政にしっかりお金を出してもらわなければ』と」。

しかし「成年後見」がほとんど知られていなかった時代だ。県に「成年後見」を管轄する部署もなかった。「家族がいない障害者なんて特殊な例でしょう」と言われたこともある。
制度について知ってもらおうと、成年後見の研修会を企画した。たちまち何十名もの参加者が集まる。障害のある子を持つ親たちが将来を按じ、切実な思いで駆け付けるのだ。2年ほど続けていると、研修に毎回参加している人に気づく。東海市役所の市民福祉部の職員だった。
「成年後見の難しい本を読むより、あんたらの話のほうがよく分かる」。

後見の必要性は行政も感じ始めていたが、後見人が何をどれほど行うのかが分からず動き出せないでいた。そんな中、Aさんの暮らしを支えるサポちたの経験から生まれる言葉がじわりと知多半島の市町を動かした。2007年には市町の福祉の担当者が集まり、先んじて行政からの委託で法人後見を行っていた岐阜県のNPO法人東濃成年後見センターへの視察を行った。今井さんもバスに同乗し、「知多にも成年後見センターを」と呼びかけた。その後、サポちたから独立しNPO法人知多地域成年後見センターが設立され、翌年には5市5町から委託を受け、知多半島全域で法人後見の業務を行うことになった。

後見人は「逃げない支援者」

センターにはすぐに相談が押し寄せた。障害や病気のために周囲に理解されず、孤立している人は実は少なくなかった。周囲に罵声を浴びせてしまう人。耳が聞こえず、字もあまり読めない人。親を亡くした知的障害のある兄弟。センターはどんな人とも粘り強くコミュニケーションして本人の意思を確かめながら、望む生活ができるようサポートする。

「私たちが『死ぬまで付き合う、逃げない支援者』と分かると、心を開いて人生に前向きになる方が多いと感じます」。
周囲から自分の意思が尊重されていると感じられると、人は変わる。被後見人の姿と「自分は何もできない、人に迷惑をかける」と思っていた今井さんが、家庭や職場に居場所を得て力を発揮していった経験が重なる。

センターでは本人が困っていれば何でも手伝う。飼えなくなったペットの引き取り手を探したり、家の草刈りの手配まですることもある。
「職員にも『これは後見人の仕事ですか?』と言われたこともある。でも、私たちの目的は成年後見ではないから。私たちにとって成年後見は、困っている人と接点を持つための手段です」。

人が手を差し伸べあえる地域を

「始める前は、私たちが受任するのは報酬を払えない人だと思っていた。実際には、センターを必要としているのはお金がない人よりも、人とのつながりがない人だった」。

今井さんは「成年後見は、必要がなければ使わない方がいい制度」とも言う。近隣の人同士がお互いに助け合えるなら、それが一番だと。それは昔のムラ社会に戻れというものではない。
センターは「個人」が自分で自分の人生を選ぶ権利を侵されることのないように支える。そのためには「みんな」で手を差し伸べあえる地域であることが必要なのだ。多忙を極める中でも、センターは毎年、「成年後見フォーラム」「権利擁護サポーター講座」など市民向けの啓発活動を欠かさない。講座で学んだ人がセンターの仕事を手伝ったり、高齢者や障害者に関わるボランティアを始めることも少なくない。
「私はボランティアは『人のため』に尽くしているのではないと思う。自分だけが恵まれていて、周りが不幸だったら自分も全く幸せを感じられないでしょう」。

今井さんが言う「自分らしく生きられる地域」は「みんなで一緒に怒られることができる地域」でもある。障害があってもなくても、お互いの行動や気持ちを尊重しあい、住民として果たすべき責任も共に分かちあう地域だ。

誰かの抱える悩みや問題が、地域でボランティアが活躍するきっかけになる。課題に気づいてすぐに動くNPOと、住民の活動を支え仕組みにしていく行政。真水と海水の混じるところに新たな生態系が生まれるように、知多地域成年後見センターの「私」と「私たち」、「共」と「公」の間をしなやかに紛らせていく活動は、人と人との豊かな関係を創り出す「地域」という空間を豊かに拓いているようだ。

■ 取材・文/石黒好美(フリーライター/社会福祉士)
■ 写真/梶景子(となりのデザイン)
会報誌aile114号(2021年9月号)掲載

特定非営利活動法人知多地域成年後見センター
(2022年4月より特定非営利法人知多地域権利擁護支援センターに名称変更)
■事業概要
・成年後見事務
・成年後見制度に関連する相談
・成年後見制度に関連する研修
・成年後見制度に関する啓発事業
■連絡先:
〒478-0047 愛知県知多市緑町32番地の6 知多市福祉活動センター内
TEL 0562-39-2663  FAX 0562-39-2667
https://chita-kenri.or.jp/

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