理念の先に見つけた「命の使い方」
起業の学校20周年プレ企画 卒業生に聞く「起業という生き方」
三澤真さん みさわこころのクリニック院長/起業の学校1期生
公務員として働いていた時に友人に誘われ「起業の学校」に入学。理念を考えるプロセスを通して医師を志すことを決め、島根大学医学部へ。社会医療法人杏嶺会一宮西病院で臨床研修修了後、上林記念病院、岐南ほんだクリニックで地域に密接した精神科医療に携わった後、令和4年4月、小牧市に「みさわこころのクリニック」を開業。
服部文さん 一般社団法人仕事と治療の両立支援ネットブリッジ代表理事/起業の学校5期生
システムエンジニアとして企業勤務の後、自身や家族の病気と転職を経験。「その人らしい人生の選択のための支援」を志しキャリアコンサルタントとなる。2012年に「がん患者の就労支援」のため任意団体「ブリッジ」を立ち上げ、2016年に「一般社団法人仕事と治療の両立支援ネット-ブリッジ」として登記。有病者が自己理解を深め納得できる生き方を選び、職場と協調した職業生活を送るための支援を実施している。
「起業の学校」は来年、開校20周年を迎えます。起業の学校が本当に大切にしたいと考えてきたことは、輩出した起業家の数でも、起業の規模を誇ることでもありません。それぞれの生徒さんが成し遂げたい願いに向き合うこと、思いをあらわす言葉を探り、人や社会とつながるすべを見出す過程を共にすることを、ひたすらに続けてきました。
そんな「起業の学校」の軌跡を伝えるためには、やはり卒業生の皆さんの声を聞きたいと、起業の学校20周年プレ企画「わたしたちの起業物語」を企画しました。今回は9月に「理念の先に見つけた『命の使い方』」をテーマに、三澤真さん(第1期生)、服部文さん(第5期生)をゲストに開催された企画の模様をお届けします。
(聞き手:起業支援ネット代表理事 久野 美奈子)
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理念づくりを通して夢を発見
三澤:僕は以前は国土交通省の職員でした。愛知万博の仕事にも関わったりして、残業続きではありましたがやりがいを感じて働いていました。
一方で、なぜか満たされない思いも抱えていました。その原因は分からないまま、友人が「起業の学校」を見つけて入るというので、社会勉強だと思って自分も入学しようと。
入ってからはとても苦労しました。(笑)
授業では常に「事業を通してどんな社会を作りたいですか?」「あなたはどう生きたいですか?」と問われるのですが、考えたことすらないことばかりで。
―それほど苦しんだのに、起業の学校を続けられたのはなぜでしょう?
三澤:他の生徒さんがそれまでには会ったことのない個性的な人たちで、授業の後の飲み会が楽しかった。(笑)
この社会問題を何とかしたい、という話を聞くのも新鮮で、すごいなと尊敬しました。
自分も続けるうちに世の中の見方が変わったとを感じました。通勤電車で、なぜみんな疲れた顔をしているのだろう?思ったり。そこで携帯のアプリを作るとか、ラーメン屋とか事業のアイデアは出してみたけれど、どれもしっくりこない。試行錯誤を重ねる中で、ふと大学時代に医学部の研究室でバイトしていたことを思い出し「本当は医者になりたかったのかも」と気づきました。
―卒業式では「卒業試験は受けません。医師になります」と宣言されましたよね。
三澤:理念を語り堂々と事業計画を発表する同期の姿を見て「僕はまだその段階にもたどり着けていない」と寂しかったですね。
その後、働きながら予備校に通い、三年かけて医学部に合格しました。「なぜ今さら?」と冷ややかな目で見られることもありましたが、妻だけは応援してくれました。起業の学校で「家族を説得できないような事業はダメだ」という話を聞いていたので、逆に家族が賛同してくれるならと勇気づけられたことを覚えています。
―最初から精神科医を目指していたのですか?
「多くの人を救う仕事を」と考え、最初は救急救命医を志しました。実際に現場に出ると目の回るような忙しさ。救急の現場だから当然なのですが、ほとんど眠らずに次から次へと診療していると「これ以上診たくない…」と感じている自分に気づき、患者さんに優しくできない医師になるのは辛い、と悩みました。
精神科はよく分からないし、自分には無理だと思っていました。研修医として精神科に配属された時、せっかくの機会だからと一生懸命勉強してみると、関わる患者さんがみるみる元気になっていく。難しい仕事だけれどやってみたい、と思えたんですね。
―最初からゴールを見据えてまっすぐに走る起業家さんもいますが、三澤さんは人生の曲がり角ごとに立ち止まって、そこで見える景色から進む道を考えていくタイプなのですね。
三澤:確かに、開業医になることも最初から決めていたわけでもありません。患者さんや患者さんを取り巻く環境を考える中で、独立した方が実現したいことに近づけそうだと感じて初めて起業を決意しました。
開業後は大変なことも多いですが、あんなに悩んだ事業計画が今回はすぐに書けました。それは何より「精神科医療を通じて、関わった全ての方を幸せにする」という理念を持てたからだと思います。
理念を実現する方法を求めて
服部:私が入学したのは2009年、38歳の時です。“不惑”と言われる年齢を目前にして、私も自分のモヤモヤを解消したかったんですね。「身の丈の起業」に何かヒントがあるのでは、と考えて入学しました。
―服部さんは在学中の個人ワークの内容も充実していましたよね。
服部:ワークや授業を通じて、中学時代に兄を亡くしたこと、自分も大病を経験したことをもとに「自分らしい人生をサポートするための起業でありたい」という理念にたどり着くことができました。けれど、その理念を実現するためには具体的にどんな事業を?と考えると、なかなか納得できる答えを出すことはできませんでした。
最初は自分の気持ちを記録する「エンディングノート」を作る事業を考えていました。理念に沿った事業計画も書き上げることができ、先生方にも「良くできている」と褒めていただきました。でも、これが本当に自分がやりたいことだろうか?という迷いもあり…。
―自分としては、納得のいく計画ではなかったと。
服部:モヤモヤを解消したくて入学したのに、より混迷を深めて卒業しました。(笑)
卒業後も模索の日々でした。興味のあったキャリアコンサルタントの勉強をしていたときに出会ったのが、骨髄バンクの移植コーディネーターという仕事です。移植のための骨髄(造血幹細胞)を提供するドナーさんに正確な医療情報を提供しながら、手術やその後の生活の不安に寄り添い、意思決定を支援する仕事です。思えば、この仕事を通じて自分がやりたいことの方向性が見えてきたように思います。
2012年に国が策定した「第2期がん対策推進基本計画」の中で、がん患者の就労支援が大きなテーマになったことを知りました。日本では二人に一人ががんに罹ると言われていますが、医学の進歩によって診断された後も働き続けられる人も増えています。キャリコンとしての知見と、自分の闘病経験の両方を生かせる「がん患者の就労支援」こそ、私がやりたかったことだ!と思えたのです。
―生涯のテーマを発見するタイミングがいつなのかは、自分でも分からないことが多いのでしょうね。その後はどのように事業を進めていかれたのでしょう。
服部:当初はキャリコン仲間に話してもあまり理解してもらえず「あれ?」と思ったこともありました。病院の人と話すと「労働の問題は医療の範囲外」と言われ、労働関係の人に話せば「医療の問題でしょう」と言われたり。(笑)
それでもがん就労の勉強会をしたりして地道に情報発信を続け、少しずつ仲間を増やしました。興味を持っていただける医師の方とつながりを持てたことも自信につながりました。病気を治すことに加えて、仕事をして元の生活に戻っていく支援は求められていると実感できたのです。
起業の学校の仲間にも助けられています。様々な専門性を持っている方が多いので、助成金など資金獲得の方法を相談したり、事業の説明の仕方は分かりやすいか、どんな点が評価されているのかなど、仲間からフィードバックを受けられることは心強いです。
事業の中にある理念
―現在の事業で、お二人は理念をどのように活用されていますか?
三澤:私にとって理念は「物事を判断する基準」になっています。理念があるから迷わないし、自信をもって決断できるようになりました。職員にも患者さんにも、自分こう考えるのはこの理念に基づいているからだ、と説明しています。新たに職員を採用する際にも、理念に共感される方が応募してくださいますし、楽しく働いていただけているなと感じます。
服部:私は「これが私の理念です」と直接メンバーに話したことはないかもしれません。
「仕事と治療の両立支援」という業務内容と「病気になっても安心して暮らせる社会の実現」という理念が一致しているからでしょうか。普段は私もメンバーも特別に理念を意識することはないのですが、病気の回復と、仕事を通じて社会とつながったり、自己実現することの両方を支える重要性を理解して働いていることは確か。やはり理念が仕事の中に自然と溶け込んでいるのかな、と思います。
三澤:実は理念を作った当初はどこか遠いもの、取って付けたような言葉だとも感じていました。でも、いつしか僕も理念が自分や仕事と分かちがたく一体化していると感じられるようになったんですよね。
―「理念」は「なんのための事業でありたいか」「どんな社会を作りたいか」といったものですから、どうしても抽象度の高い表現になりますよね。それでも一歩ずつ歩みを進めるうちに事業や起業家さん自身と一体化していく凄さを感じます。
共に進む仲間を増やしていく
―お二人がこれから取り組んでいきたいことをお聞かせいただけますか。
三澤:通院される患者さんが増えて、自分一人で診察できる人数を超えそうなので、クリニックの運営方法を検討中です。
同時に、院外での活動にも取り組みたいと考えています。例えば、優れたスキルを持っているのに、発達障害があるために会社ではつまづいてしまった人たちが、かっこよく力を発揮できる職場が作れないだろうか、とか。地域で一緒に活動できる人を探し始めたところです。
―「起業の学校」のプログラムでお話していることに重ねると、今の三澤さんは新事業を始める際の「社会実験期」のもう一段階前の「共同学習期」に入ろうとされているのかもしれないですね。
服部:起業から10年、医療だけでは支えきれないがん患者さんの人生をサポートする事業が求められていると実感できたと同時に、私の団体だけの頑張りでは全く足りないということも痛感しています。がん患者に対する就労支援の重要性を広く訴えて、社会のシステムにしていくことが今の目標です。
いま、助成金を獲得して「AYA世代(15~39歳)のがん患者、とりわけ社会に出る前の若い世代の就活支援」に取り組んでいます。がんの経験を経て社会に出ることの影響は大きく、専門性の高い支援が必要だと考えています。若年のがん患者への就労支援を形にすることで、社会への発信力を高めていきたいと考えています。
<取材を終えて>
理念がなくても起業はできるのかもしれません。一方で、私たちは理念があったからこそ起業できた、自分らしい生き方を選べたという方にも出会ってきました。そのグラデーションの中で、万能ではないかもしれないけれど、持つことで次の一歩を踏み出す勇気を持てたり、より美しい命の使い方ができるものとして、「理念」を伝え続けていくことこそ、私たち起業の学校が成すべきことと感じたひと時でした。
■ 取材・文/石黒好美(フリーライター/社会福祉士)
■写真/梶景子(となりのデザイン)
会報誌aile123号(2023年12月号)掲載
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