多様な生き方や価値観が受け入れられる豊かな社会を目指して~役割を引き受けるという生き方~
本間 貴宣(ほんま たかよし)さん
一般社団法人しん 代表理事・臨床心理士
新潟県佐渡島生まれ。
幼いころから心理学に関心を持ち、大学・大学院で心理学を学ぶ。大学院卒業後、精神科クリニックに臨床心理士として勤務。デイケア責任者などを務める。
2013年、一般社団法人しんを設立、代表理事に就任。
「まさか自分自身が起業するなんて思わなかった」。そう語るのは、一般社団法人しんの代表理事、本間貴宣さん。一般社団法人しんは、精神・発達障がいを持つ方が地域・社会とつながりながら、それぞれの役割を見出していくことを全力で応援する団体だ。法人名の「しん」には「新・進・真・伸・信・心」…など、様々な想いが込められているという。
2013年1月に法人設立、その後4月に精神・発達障がいを持つ方が気軽に通うことができ、社会とつながる第一歩の居場所として「地域活動支援センターとびら」を開所。2014年7月には、自立に向けた社会生活力を高めるための場として「地域自立支援センターみち」を開所。現在スタッフは13名、利用登録をしている方は160名を超えた。今や、地域になくてはならない団体として事業を展開しているが、代表の本間さん自身は「起業しようという強い想いがあった訳ではなかった」という。それはどんな意味なのか?本間さんの起業への道のりを聞いた。
「起業の学校」へ
「起業・経営相談」へ
「講演・研修」へ
何のために生きるのかを問う日々
本間さんは新潟の佐渡島で生まれ育った。実家は代々専業農家。東京の大学へ行き、心理学を学びたいという本間さんは、親族の中でも異色の存在だったという。
本間さんが心理学に興味を持ったのは中学生の頃。「僕には統合失調症の兄がいます。また、子どもの頃、家庭の事情で両親と一緒に暮らすことができませんでした。自分は何のために生きるのか、何のための存在なのかという疑問を持つのは人より早かったのかもしれません」。勉強もスポーツもできたため、同世代の中での居場所はきちんと確保していたが、どこか大人びた影を持つ子どもだったのかもしれない。
そんな本間さんは中学校に入ると「荒れた」という。家に帰らず、授業にも出ず、“悪いこと”をして過ごした日々。そんなある日、本間さんたちが教室で若い先生をからかっていた様子を、本間さんの担任の先生が廊下からじっと見つめていた。本間さんは、その先生の眼差しが今でも忘れられないという。「何とも言えない“重さ”のある眼差しでした」。その先生が本間さんに、『フロイトとユング』(小此木圭吾・河合隼雄・著)を読むことを強く勧めてくれたことが心理学に興味を持つきっかけになった。「人間には潜在意識があり、自分自身でもコントロールできない部分を持っているということを知り、大きな衝撃を受けました」。その先生は、本間さんたちが中学を卒業後、すぐに癌で亡くなられたという。あの時の眼差しの意味、心理学の本を勧めてくれた意味、それを本人に確かめることはできない。だが、本間さんは今でもそのときのことを忘れることはない。
高校では相変わらずやんちゃなグループに所属してはいたが、比較的落ち着いた日々を過ごした。都会への憧れもあり、東京の大学に進学。入学金だけは祖父が出してくれたものの、授業料はすべて自分で稼ぎながらの日々だったという。
高校時代に相当な量の心理学の本を読みこんでいたこともあり、大学の授業自体は目新しいものではなかったが、統計ソフトを使ってパチンコ台の分析に取り組んだり、新宿2丁目でコミュニケーションの真骨頂を学んだりと、東京の生活は満喫した。心理学そのものへの関心は衰えることなく、これを仕事にするためにも臨床心理士の資格をとりたいと思うようになった。そのためには指定大学院を修了することが必須であり、愛知県の大学院に進学。大学院の教授の紹介で名古屋市内の精神科クリニックに就職し、臨床心理士として勤務することになった。
念願の臨床心理士に。医療の世界での学びと限界
クリニックでは外来患者のカウンセリング業務やデイケア(集団活動をしたりプログラムに参加したりしてもらうことで、社会機能の回復を図る場所)の運営に携わったりと忙しくもやりがいのある日々を送っていた。また、全国、ときには海外で学ぶ機会にも恵まれ、精神科医療と精神疾患患者の地域生活支援についての最新情報を得ていった。だが、少しずつ本間さんは自分の中にある疑問が沸き起こってくることを押さえきれなかった。医療機関であるクリニックでは、精神疾患を抱えた人は「患者」であり、精神疾患の症状は投薬等で「治療すべきもの」として扱われる。「デイケアのプログラムづくりのために、一人一人の患者さんの話をじっくり聞いたことがあったんです。精神疾患の患者さんは壮絶な経験をされてきている方も多い。どんな人生を歩んできたのか、これからどんな人生を送りたいのかを顧みることなく“治療”が行われることに少しずつ違和感を感じるようになりました」。
その違和感を現場で解消できるよう、本間さんは日々の業務の中でもできる限りの努力をした。ある程度時間がかかることも覚悟はしていた。しかし、現場で頑張れば頑張るほど医療の世界のヒエラルキーの強固さを痛感することとなった。最終的に本間さんが医療の世界を離れる決断を後押ししたのは、アメリカの地域生活支援の現場に研修に行ったことだった。そこでは、医療だけではなく、生活支援、就労支援も含めて「治療」ではなく「一人一人の暮らしのサポート」がされていた。それを目指したい。でもここではできない。その現実を前に、これ以上医療の世界で仕事はできない、と感じた本間さんだったが、転職ではなく起業という選択をするには、仲間の存在が大きかったという。
まさかの起業。仲間とともに。
実は本間さんが感じていた違和感は、ともに働く看護師や福祉職の職員も感じていたものだった。本間さんが描く未来ビジョンに共感する仲間たちから「一緒にやろう」と声があがり、看護師2名とともに法人設立と福祉サービス事業のスタートを決意。「実は、今後の身の振り方はもうちょっとゆっくり考えようと思っていたんですけど(笑)。目指す未来があるんだから、すぐにやろうよ!と言ってくれる仲間に背中を押されました」。働きながら起業準備をし、クリニックを退職した翌日に自身が立ち上げた法人のサービスが開始するという怒涛の日々を過ごした。
起業してすぐに感じたのは、対応しなければならないニーズの多様性。「人間関係の悩み、就労の悩みはもちろんのこと、買い物の仕方、交通機関の使い方、時には自宅の水道管が破裂した!と相談を受けることも。とにかく幅広くて、知識もスキルも自分たちには全然足りないな、と」。自らが学んでいくのと当時に、たくさんの支援機関とつながりたいと、とにかくイベントや研修会に足しげく通った。1年経ったころ、利用者の登録が100名を超え、一人ひとりに丁寧に対応することが難しくなってきた。同時に利用者の皆も「学びたい」と思っていることが見えてきた。「医療機関にいたときは、“幻聴をどうしよう”という悩みを聞くことはありませんでした。患者さんもそれを言っても薬を増やされるだけ、ということがわかっていたからです。でも、実はみんな困っている。今の僕たちには投薬という選択肢はないわけで、生活の中の知恵と工夫でその困りごとを解決していかなければならない。利用者のみんなも一緒に学んで、障害に振り回されない生き方を一緒に見つけていこうという機運が高まってきました」。そこで、二つ目の拠点として学びたい人を主な対象とした「地域自立支援センターみち」の開設に踏み切った。そして今年の7月には、新たな拠点のオープンも予定している。精神障害の方が働くカフェと地域の方が自由に出入りできる場だそうだ。「子どもから大人・高齢者まで、障害がある人もない人も自由に出入りができて、それぞれに役割がある場にしたい。そういう場が街の中にあることが、障害への偏見をなくすことにもつながるのではないかなと。将来的にグループホーム(住居)が展開できるようになるまでは頑張って、そこまでできた時に、もう一度医療の世界を変えていくことに挑戦したい」。
学び関わることで見つけた等身大の自分
雇用するスタッフも増えた。これからの組織づくりも課題だ。そのプレッシャーから逃げ出したくなる時もある。けれど、「もともとこの事業も、ものすごく高い志からスタートしたというよりは、僕自身が医療の現場で仕事を続けられない、というところから始まっています。そして、精神障害を支援しよう、理解しようといろいろなことを学び、利用者さんと接してきて、実は僕自身がとても楽に生きられるようになった。学ぶことで、何かを赦すことができたり、未熟さを隠すために虚勢を張ってしまう自分を少しずつ手放すことが出来ています」。そういう意味では事業そのものへの執着はない。地域が変わり、自分の立ち上げた事業が必要なくなるのであればそれでいい。だからその日までは頑張る。そう語る本間さんのアイデンティティは「起業家であること」ではなく、本間さん自身も含めた“弱さを抱えた人間が”弱さを抱えたまま、自分の人生を生きる中で役割を果たすこと、にあるのかもしれない。起業家とは、そんな未来から要請された役割を“引き受ける人”でもあるのだ。
「兄は今でも佐渡島で引きこもっています。いつか兄と何かできたら」。取材の最後にぽつりと洩らした本間さんの願い。いつかやってくるその日に続く今日を、本間さんは丁寧に、仲間とともに歩き続けていく。
■取材・文/久野美奈子(起業支援ネット)
■写真/河内裕子(写真工房ゆう)
会報誌aile94号(2016年3月号)掲載
一般社団法人しん
■事業内容
精神・発達障がいの社会参加を応援する活動。
・地域活動支援センターとびら(地域活動支援)
・地域自立支援センターみち(生活訓練)
・夢叶レンジャー(ボランティア活動)
その他、精神・発達障がいを持つ方やその家族への福祉サービスの情報提供や相談など
■理念
「出会い・つながりが最高の社会訓練」
「一番身近な社会参加の場の提供」
「全ての人に役割を」
一人でも多くの精神障害を持つ方が地域で様々な役割を持つことを全力で応援します。
■連絡先
<地域活動センターとびら>
名古屋市西区花の木3-17-14第一新日本ビル2階
電話052-528-5977
<地域自立支援センターみち>
名古屋市西区花の木3-16-28清光ビル花の木4階
電話052-532-1144
HP:http://syadanshin.jimdo.com/
メール:syadanshin@yahoo.co.jp
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