会報aile91号(2015年6月号)
世間を巻き込む渦を起こそう
特定非営利活動法人多文化共生リソースセンター東海 代表理事
1979年、広島生まれ。大学で日本語教育を学び、卒業後、留学生や技術研修生らを対象とした日本語教育に従事。同時に、地域日本語教室にもボランティアとして参加。
2008年、多文化共生リソースセンター東海の立ち上げに参画し、翌年の法人格取得とともに代表理事に就任。
「貧困のため学校に行けず、働いている子どもたちがいる。これはどこかの発展途上国のことではありません。いま、日本で起きていることなのです」。社会の課題解決に取り組むリーダーを育成・支援する「社会イノベーター公志園(こうしえん)」の全国大会で、土井佳彦さんは聴衆にこう訴えた。
「深夜特急」を読み、海外で働きながら旅をして暮らすことに憧れた少年時代。大学卒業後は日本語教師となり、留学生や日本で働く外国人に日本語を教えた。大学院への進学のため引っ越した愛知県内で、外国人に日本語を教えるボランティアをしていた時、言葉が分からず授業について行けなかったり、お金がなくて学校に行けない子たちと出会った。
それを知った土井さんは、外国人が働いている会社に頼み込み、日本語や日本の習慣を学べる教室を開いた。親たちが安定して日本で働けるスキルを身に付ければ、子どもたちも安心して学校に通うことができると考えたからだ。
しかし教室が軌道に乗ってきた2008年の秋、リーマンショックが起こる。多くの外国人労働者が解雇された。日本語が堪能でも「外国人だから」という理由で断られ、ほとんどの人は再就職できなかった。土井さんは、「これは外国人の問題ではない。日本社会のあり方の問題ではないか」という思いを抱いた。
「僕は『困っている人を何とか助けたい』と思って活動しているわけではありません。それは、手段であって、目標ではないからです。『多文化共生』とは、多様な価値観をもつ人たちが一緒に暮らせる豊かな社会のこと。自分がどんな社会で生きていきたいかという、その“社会像”だと考えています」。
十人十色の思いを抱え込んで
時を同じくして、医療・教育・法律など、さまざまな分野で外国人支援に携わってきた若手メンバーで、多文化共生を目指す中間支援組織を作る準備が進められていた。
「ずっと支援の現場にいましたが、どの団体のメンバーもボランティア。本業の傍ら身銭を切って活動をしている。でも、長くは続かなくて、同世代の人がどんどん辞めていくのを目の当たりにしていました」。土井さんは、どうすれば支援の現場の活動を「本業」としてやっていくことができるのかと考えていたという。「準備会を重ねるうち、中間支援組織は現場の活動をサポートしていく団体だと知り、それができるのなら本気でやってみたいと思いました」。
こうして2008年10月に「多文化共生リソースセンター東海」を設立。立ち上げてみると、徐々にいろいろな相談が増えていった。外国人団体のイベントに日本人を集めるにはどうすればよいか、会計のやり方を教えてほしい、NPOを立ち上げたい…など、相談内容はさまざま。中間支援が求められていることを実感する日々だった。「聞かれて分からないことはめちゃくちゃ調べました」という土井さん。貯金をつぎ込み、全国のあらゆる外国人支援の研修や勉強会にも参加したという。2~3年後には行政の担当者からも頼られ、施策に関して意見や考えを求められるようになった。
「今もリソースセンターは、活動の柱はありつつも、活動の内容はあまり限定せず、現場のニーズに柔軟に応えていくことにしています。ただし、直接支援ではなく、あくまで中間支援としての関わり方を大事にしています」。
ひと言に多文化共生や外国人支援といっても、活動内容も関わる人の属性も多岐にわたる。「意見が一致せず、ぶつかり合いになることも。だからこそ、色々な考え方がある中で、リソースセンターとしてはどこに向かっていくか?ということを考えないといけないと思っています」。
「とはいえ、僕たちだけでプロジェクトをやるということはありません。必ず他の団体と協働します。そうすると、相手の団体さんの思いを大事にすることも必要になる」と土井さんは語る。考え方や立場の違う人と共に活動するからこそ、自らの理念をしっかりと持つことが必要。同時に、他団体の意志を尊重することも同じくらい大切―――、この姿勢こそ、「多文化共生」のあり方そのもののようだ。
「自分がないとダメだけれど、自分ばかりでもできない。色々な人と一緒に活動するからこそ、自分たちの信念も磨かれていくという実感があります」。
中間支援組織としての二つの視点
リソースセンターは支援団体のサポートだけではなく、自治体への提言や計画づくりにも関わっている。現場で起こっていることを伝え、知ってもらい、施策に生かす。しかし、土井さんは民間団体と行政でできることには限りがあるとも感じていた。東海地方は、企業が従業員として雇用することで外国人を受け入れてきた地域。多文化共生の活動には企業こそ関わらなければ。そう考えていたが、これまでは企業へのアプローチの方法が分からずにいたという。
「公志園への出場を勧められた時は忙しくて、業務以外のことをできる時間があるのかと迷いました。それでも出場を決めたのは、大企業の人に『多文化共生』について話を聞いてもらえる機会だったから」。
公志園では、多くのビジネスセクターの人や大規模なNGO団体にもプレゼンを聞いてもらうことができた。「国際協力のNGOの人にも『日本にも貧困の問題があるなんて知らなかった』と言われ、まだこの分野について知らない人が多いと思い知らされました。海外に井戸を掘ったり学校を建てたりする企業は山のようにある一方、国内の外国人学校に寄付をする企業はまだわずかです。もっとこの問題について伝えられる人を増やしていきたいですね」。
困難を抱えた人を支える現場をサポートする視点と、行政や企業など、社会の仕組みを作るところに訴える視点。土井さんは、中間支援団体として両方のバランスを保つことを強く意識しているという。「こう考えられるようになったのは、愛知には必要な人への支援をしっかり届けている団体がたくさんあると知ったから。今、川で溺れている子どもを助けることは団体さんにお任せして、その間に僕は子どもが川に落ちない策を考える人になろう、と決心できました」。
外国にルーツを持つ学生が市役所の職員に
そんな土井さんたちの取組みは、少しずつ実を結びつつある。リソースセンターでインターンをしていた日系南米人の学生が、この春就職したという。「全く日本語が分からないまま来日し、小学校に入って不登校になった経験もある子でした。大変な思いをしながら大学を卒業して、市役所の学校教育課に就職したんです。いつか、当事者が担い手になっていくといいなと思っていたけれど、あっという間に叶ってしまった」と土井さんは笑う。
もう一つが、災害時の外国人支援に関する提言だ。「災害が起こった際に発信される緊急情報のメールを多言語化するか、やさしい表現の日本語にできないかと、以前から名古屋市などに働きかけていました。この3月に、NTTドコモが多言語化のアプリを開発していると聞き、お会いして話をすることに。また、内閣府からも緊急地震速報に「やさしい日本語」を取り入れると発表され、同じ思いの人が提案してくれたと思い嬉しかったです」。
多文化共生のネットワークを
「外国人の問題には法律の影響が大きく、自治体レベルでは対応が難しいことも多い。これからは法律や制度を制定するところにも関わっていきたい。」と土井さん。
「多文化共生について国が問題意識をもって政策づくりをしていくためには、市民からもっともっと多くの声があげられないといけない。そのためにはまず日本語教育・子どもの貧困・医療…と、ジャンルの違う活動をしている団体が集まらなければいけない。加えて、国際交流や人権問題の団体など、困窮者支援という枠を超えた団体ともつながらなければ足りないと思います」。難しい仕事だが、土井さんは少しずつでも全国的な多文化共生のネットワークを作っていきたいという。
「『男女共同参画』や、障害者支援の人たちに教えていただいた『ノーマライゼーション』も、異なる立場の人がだれも排除されず、交わり合いながら新しい社会を作っていこうという点では、『多文化共生』と同じだと僕は思っています」。
ミクロの現場とマクロな視点、日本と外国、自分と他者。時にはぶつかり合いながら、お互いの違いを認め合うこと。そして、その違いこそが、多様な背景を持つ人々をつなぎ、豊かな多文化共生の社会を作っていくのだろう。
(取材・文/石黒好美 写真/河内裕子(写真工房ゆう))
《事業概要》
特定非営利活動法人多文化共生リソースセンター東海
Resource Center for Multicultural Community Tokai
■事業内容
- 多文化共生理解促進事業
- 外国人住民の社会参画促進事業
- 多文化共生社会づくりに関する情報及び人材のネットワーク構築事業
- 「外国につながる子ども」の健全育成に関する事業
- その他、上記の目的達成に必要な事業
■活動目的
日本に居住する外国人及び日本人に対して、多文化共生社会の実現に向けた活動の促進に関する事業を行い、在住外国人と日本人、また在住外国人同士、日本人同士の連携・協働・共生に係る問題の改善や解決を図ることで、多文化共生社会の実現に寄与すること。
■連絡先
名古屋市中区新栄町2-3 YWCAビル6階
TEL:052-228-8235
FAX:052-228-8236
HP:http://mrc-t.blogspot.jp/