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起業物語 [aile vol.98]

現実の厳しさを見つめながらも、ひとりひとりが納得できる社会を

古市 貴之(ふるいち たかゆき)さん

NPO法人シェルパ 代表理事
1976年福島県双葉郡楢葉町生まれ。
大学卒業後、人材サービス会社で勤務したのち、福島県内の老人ホームで働き、社会福祉士・精神保健福祉士の資格を取得。その後、障害者の作業所やグループホームの世話人、精神障害者の相談支援や長期入院している障害者の地域復帰プログラムなどに関わる。
2014年2月にNPO法人シェルパ設立。

東京駅から常磐線で福島県を目指す。特急に乗って二時間、車窓から見える海が陽に照らされて美しい。降り立ったいわき駅は明るく、休日に買物や食事を楽しむ人で賑わっていた。

私たちを駅まで迎えに来てくれたのは「NPO法人シェルパ」代表の古市貴之さん。「起業の学校 福島キャンパス」の卒業生だ。いわき市の北、30㎞ほど離れた双葉郡楢葉町・広野町で、障害者向けのホームヘルプサービスや生活相談、放課後の子どもの一時預かり等を行っている。

楢葉町も広野町も、東日本大震災による福島第一原子力発電所の事故後、一時は「避難指示区域」となった地域だ。多くの人が隣接するいわき市に避難した。「楢葉町は2015年9月に避難指示が解除されましたが、帰って来ている方は2016年11月の時点で約750人です。」車を走らせながら、古市さんが説明してくれる。震災前の人口は7,500人だったという。「4年前に避難指示が解除された広野町は現在5,000人ほどで、震災前と同じくらい。でも、以前から広野に住んでいた人は半数くらい。もう半数は、除染など原発関係の仕事のために新しく移り住んできた方たちです。」
のどかな町の風景は、一見するとすっかり日常が戻って来ているように感じられる。しかし、今もなお原発事故は強く深く、静かに人々の生活に影を落としている。「シェルパ」が活動しているのはそんな場所だ。

古市さんは私たちを楢葉町を一望できる山の上にある「天神岬スポーツ公園」へ案内してくれた。左手には太平洋が広がり、キラキラと光る波がゆっくりと寄せては返す。海岸には大きな堤防が建設中で、積まれた土砂と整地された工事現場が陸と海をくっきりと分ける。海沿いの土地には膨大な量のフレコンバックが置かれている。除染作業後の土が詰められたものだ。
「放射能への不安が拭い去れず、子どものいる若い世帯が帰還しづらい状況にあります。もとより人口の多い地域ではなかった上に、人手は除染など原発関係の仕事にとられてしまう。」双葉郡の福祉サービスの担い手不足は深刻だ。障害のある人たちは、相談先がなく家族で悩みを抱え込んでいる人が多いという。

「僕は、この土地で生きることを選んだ人ひとりひとりに対して、必要な支援をしていきたい。」
古市さんの表情は穏やかだが、楢葉町を見つめる眼差しは力強く、現状から目を逸らさないきびしさがあった。

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福祉の仕事に魅力を感じて

子どもの頃は、故郷である楢葉町の良さを全く感じられなかったと笑う古市さん。大学進学と同時に上京し、卒業後は人材派遣会社で営業の仕事に就いた。「ノルマのために自分が納得していないサービスも売らなければならないことがとても苦しくて。ずっと悩みながら仕事をしていました。」

そんな時、地元の人から楢葉町に新しく老人ホームを作るから働いてみないか、と声をかけられた。介護の仕事は全くの未経験だった。
「昔から家族や親戚のおじいちゃん・おばあちゃんと接することは好きでした。排せつの介助など、自分にできるのかという不安もありましたが、形だけのビジネス的なやりとりではなく『関わった人に幸せになってもらえる仕事をしたい』という気持ちが強かったですね。」
仕事を始めると、やはり大きなやりがいを感じるようになった。「その人の人生の最期のステージを一緒に過ごせる。こんなに素敵な仕事はないと思いました。」

老人ホームで4年勤めた後、古市さんは楢葉町の障害者支援センターで働き始める。「もっとよい支援をしたいと、働きながら社会福祉士や精神保健福祉士の資格も取りました。でも、老人ホームという限られたエリアの中だけでできることの限界も感じて。施設の中だけでなく、地域に出て広いフィールドで活動したいと考えたのです。」

古市さんは精神科病棟などに30年、40年と長期入院している人が退院して地域で暮らすための支援に関わった。アパートを借りるときに保証人が居なければ、古市さんが保証人になった。ある人が一人暮らしを始める際には、最初の一週間は古市さんが自ら隣の部屋に泊まり込んで、様子を確認した。周りの人には「そこまでする必要はない」と言われたが、古市さんは「特別なことをしたとは思っていない」と語る。

「これまでに何度も入退院を繰り返し、施設での生活も合わずに悩まれていた方です。そんな人が、不安でも新たな一歩を踏み出してみようという時でした。周囲からは『普通はそういうことはしない』と言われましたが、僕は応援したいと思ったんです。」

避難生活を通じて分かった「痛み」

そんな中、東日本大震災が起こった。古市さんも障害者の人たちと共に、毛布をかぶり雪の舞う中を避難した。楢葉町を離れ、いわき市で避難生活を送る中で、古市さんが強く感じたことがある。

「先の見えない不安や心細さ。家もお金も交通手段も、働くところもない。社会から必要とされていない寂しさ。自分を否定するみじめな気持ち。誰に言っていいのか分からない不満や憤り…。
ひょっとしたら、障害のある人はこういう気持ちを、震災の前からずっと感じていたのではないか、と気づきました。分かったつもりでいたけれど、自分自身も避難者になったことで、初めて同じ立場に置かれたのだと思います。」

障害がある人もない人も、多くの人が仮設住宅で暮らす中「こんな状況だから我慢してもらうしかない」「仕方がないんだ」という雰囲気が、行政にも福祉関係者の中にも蔓延していた。「国の決めた枠組み通りの暮らし方以外は『自己責任だ』と言われ見放されてしまうのではないか、という危機感がずっとあります。」

混乱しているのは行政だけではない。地元に帰りたいお年寄りと、不安を拭えず別の土地に家を構える若い人たち。いわき市民と双葉郡からの避難者との間の軋轢もある。「避難者には一人月額10万円の賠償金が出るのに対して、隣のいわき市の住民はゼロ。急に人口が増えたことで、いわき市内は頻繁に渋滞が起こるようになりました。市の福祉事業所の定員がいっぱいになり、受けられていたサービスの日数を減らされたという人もいます。」様々な困難が続く中、コミュニティは壊れ、人々は分断されていった。

「今はこれしかできない、と諦めるのではなく、新しい選択肢を作って、この生きづらさを解消したい。小さくてもいいから、今ある制度の枠組みでは対応できないようなニーズに応えていくことをしたいと、震災後に強く思うようになりました。」

「さってばさ」のサービスを作る

こうして古市さんは「NPO法人シェルパ」を立ち上げる。「利用する人のやりたいことが実現できるサービスを」と考え、ニーズの高いいわき市内への送迎や、障がい児向けのフリースペースを運営する事業などを始めた。「『〇〇歳までしか預かりません』『17時までしかできません』というやり方はしたくなかった」。困りごとがあれば臨機応変に対応できる「さってばさ(福島の方言で、必要な時にすぐやること)」のサービスを作っていきたいという。

しかし、現在の楢葉町の人口は震災前の10分の1。利用者も決して多くはなく、ヘルパーやフリースペースの事業だけではお金にならない。NPOの理事など周囲からは「単なる自己満足じゃないのか」「事業化の目途が立たないことをやるべきではない」と反対の声も大きかったという。

「でも、お金ありきでは一歩踏み込んだ、制度の狭間に取りこぼされた人の支援はできないんです。『お金にならないから、ここまでしかやらない』というのは、おかしいと思っています。」

お金があるからといって、お金で解決できる手法だけに頼っていていいのかと、古市さんは問いかける。
「この辺りは賠償金が出て、今はお金に困っていない人もいます。でも、それもいつ打ち切られるか分からない。金銭的なサポートが亡くなった後、以前にあった人と人とのつながりも無くなっていたら、困った人を支える人が誰もいない、そんな地域になってしまうのではないでしょうか。」

古市さんの地道な努力の積み重ねは、少しずつ周囲にも影響を与え始めている。他のNPOと一緒に祭りなどのイベントをしたり、地元の商工会等とのつながりもできた。行政との関わりも密になり、フリースペースは町からの委託事業として運営できるようになった。来年度からは、楢葉町の障害者の相談支援の中核となる「基幹相談支援センター」事業の受託が決まっている。

「震災前も『支え合う地域づくり』が大事だ、ということは認識していました。でも、当時はどこか漠然としていて『いつかできたらいいよね』という感じだったと思います。でも、今は違う。

町は、福島は、このままでいいのか。震災を経験して、弱い立場に置かれた人の気持ちに気づいたのに『やらない』という選択はしたくない。『制度の狭間に誰ひとり取り残さない地域を作る』という思いを固くしました。」

一人ひとりの大きさを大切に

「今までは自分ひとりだけの思いでも何とかやってこれた。これからはその思いを、組織や、地域の仲間と共有していくことが課題」と古市さんは語る。「起業の学校」で、理念づくりや、未来デザインの手法を使って事業を見つめ直したことで、自らの課題と使命に気づいたという。
「何かあったときはいつでも『その人、一人をどうするんだ』ということに立ち返りたいと思います。」

不安はあっても、条件は整わなくても、故郷に帰るという決断をした人を支えたい。人の心の揺れ動く部分、白黒はっきりできない部分もそのまま受け止めたい。型にはめるのではなく、一人ひとりの大きさを大切にしたい。「シェルパ」とは、登山者を助けるガイドであり、サポーターだ。

「どんな決断であっても、その人にとってはエベレストに挑むような覚悟でチャレンジすることかもしれない。僕たちはそれをサポートする存在でありたい。」 古内さんの声に熱がこもる。

「楢葉に帰りたい頸椎損傷の人がいるんです。帰ることで家族の負担は増えるし、ヘルパーも必要。住宅も改修しなきゃいけない。でも、その人がこう生きたいんだというのをチームや地域で共有したい。皆で話し合って、第一志望じゃなく、第二志望、第三志望かもしれないけれど、その人の望むところに辿り着けたっていう過程を分かち合えたら、それはすごい財産だと思うんです。こうした過程を経て獲得したものこそが、その人の『居場所』になると思うのです。
そのために、どんな仕組みづくりをしていくか。少しでも幸せを感じられて、社会から孤立していると感じなくなる―――『誰にとってもの居場所づくり』をしていきたい。震災を経験した人間だからこそ、この価値観を共有出来ると僕は思うんです。」

────

古市さんの話を聞きながら、「震災を経験した人」とは、東北に住む人だけのことなのか?と、ずっと考えていた。失われゆくコミュニティ、貧困や右肩下がりの経済状況は、確実に先の見えない不安となって私たちの日常を侵食している。そして、お金や今まで通りのやり方だけに頼って、それを紛らわそうとしているのではないか。私は福島から問われ、見つめ返されているように感じた。

「シェルパ」の経営は厳しく、スタッフの確保も困難を極めている。それでも、高い山を前に、共に暮らす人々と一緒に一歩ずつ踏み出そうとする彼らの挑戦を眩しく感じずにはいられない。

■取材・文/石黒好美(フリーライター)
■写真/戸上昭司(起業支援ネット)
会報誌aile98号(2017年3月号)掲載

NPO法人シェルパ
■事業内容
・居宅サービス事業所「シェルパ」(子どもからお年寄りまでのホームヘルパーサービス)
・日中一次支援事業所「ひろのハウス」(市町村委託の障がい児者の一時預かり)
・相談支援事業所「陽(はる)」(福祉サービス等のよろず相談)
など
■理念
 震災を経験した私たちだから創ることのできる 誰にとってもの居場所づくり
■連絡先
 〒979-0514 福島県双葉郡楢葉町大字下小塙字風呂内22番地
 TEL:0240-23-6389

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