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会報誌「aile」vol.82

会報aile82号(2011年11月号)

みんなの「したい」が社会をつくる ~自ら気づき、自ら動く人づくり~

織田 元樹さん
NPO法人ボラみみより情報局 代表

99年「ボラみみより情報局」設立。ボランティア情報誌「月刊ボラみみ」を1万部発行し、PC版・携帯版ボランティア情報サイトの運営、ボランティアに関わる冊子製作、研修などの事業を展開。04年8月~08年3月「なごやボランティア・NPOセンター」を3つのNPO法人でコンソーシアムを組み、指定管理者制度により運営・所長を務める。08年度~11年度愛知県NPOアドバイザー設置事業を受託し、相談業務などのNPOに関わる事業を展開。

事業概要


NPO法人ボラみみより情報局
〒453-0021 名古屋市中村区松原町1-24
地域密着型ビジネス支援施設(COMBi 本陣) N102
電話:052-799-5356
FAX: 052-799-5366
E-mail:office@boramimi.com
■事業理念
「つなぎ」
ボランティア活動をしたい人とボランティアを必要としている人をつなぎます
「ひろげ」
ボランティアNPO活動への理解と参画をひろげます
「きずく」
自らの問題解決に取り組む地域社会をきずきます
■事業内容
ボランティア情報誌「月刊ボラみみ」の発行
ボランティア情報システム「みみライン」の運営
ボランティアマッチングイベント「ボラみ展」の開催
人材育成「ボラみ塾」 など

地下鉄本陣駅から徒歩1分。ボランティア情報誌「ボラみみ」を発行するNPO法人ボラみみより情報局の事務所は、地域密着型ビジネス支援施設COMBi本陣の中にある。

月刊『ボラみみ』はボランティアをしたい人とボランティアを求める団体とをつなぐ無料の情報誌だ。取材、情報収集、編集、配布先への発送など、そのほとんどをボランティアが運営しており、現在100名ほどが関わっている。2000年4月に創刊から、毎月欠かさず1万部発行を保っているというから驚きだ。配布先は居酒屋やスーパー、大学や図書館など様々。名古屋市を中心として愛知県内が多いが、岐阜や三重でも手に入れることができる。何気なく見かけている人も多いのではないだろうか。

どこに行ったらボランティアできるのだろう?

代表の織田さん自身がボランティアを志したのは20年前。中国滞在中にたまたまダウン症の子どもをみかけて興味をもったという。日本に帰ったらボランティアをしてみようと決めての帰国だった。

「日本に戻って、ボランティアを探しはじめたら、どこに行ったら情報が手に入るか全然わからなくて。ボランティアグループを見つけるのに1年もかかったんですね」。

1990年代前半、インターネットもない時代だった。社会福祉協議会などの窓口の存在も知らず、新聞や広報なごやを眺める日が続く。結局、ボランティアグループには友達の紹介でたどり着いた。

ところがボランティアをはじめてみたら、どこの団体もボランティアを求めていた。

「どこへ行ってもボランティアが足りない。そこで、ふと思ったのが、コンビニに置いてある無料の求人情報誌でした。求人情報誌のボランティア版があれば、きっと役に立つだろうと」。

提案の日々

思いついてスグ、織田さんは行政の窓口に提案をしてまわった。当時、社会福祉協議会やボランティア情報センターも情報誌を発行はしていたが、情報量は少なく、配布先も行政の窓口ばかり。市民に届けるためにはコンビニや駅に置くようにしなくてはならない、と訴えたが相手にされなかった。

「僕はボランティアをしたくてできない人が、世の中にたくさんいるという仮説をもっていたんです。だから、情報誌をつくれば反応すると思った。ボランティアへの関心を調べてみたら、65%が行ってみたい、とか、関心があるって回答をしていました。そのうち3分の1はさらに積極的な関心を示している。名古屋市だけで、220万人いるから、150万人が関心を持ち、そのうち50万人が強い関心を持っていることになる。市場が存在していたんです」。

自らボランティア体験講座を開催するにあたっても、試行錯誤を行った。チラシを1000部、若者が集まりそうな場所に配って、どの場所でどれぐらい減ったかを調べたのだ。効果のあるところだけに絞って、最終的に300部の配布で、毎回参加者を集められるようになった。その参加者に聞いてみると、やはり「ボランティア情報をずっと探していた」という。仮説は確信に変わっていった。

しかし、これだけデータを集めても、行政は動かなかった。ことあるごとに訴え、提案する日々は8年に及んだ。

結局、僕が間違っていた

そんなある日、札幌に『ボラナビ』というボランティア情報誌があることを知る。スーパーにも配布されていて、2万5千部(当時)も発行されていた。もう、いてもたってもいられない。ボラナビの代表森田さんに会いに行ったのは、1999年7月10日のことだ。そのとき森田さんはまだ20代。ボランティアが足りない現状に気づき、わずか3ヶ月で情報誌をつくってしまい、そして、半年後には自分の給料が出るようになっていた。

情報を集めて、お金もまわっているなら、行政か何かが絡んでいるはず、と考えていた織田さん。ところが、森田さんは自ら動き、仲間をつくり、企業を巻き込みながら運営資金を調達していた。まさに「目からウロコ」だった。そして、気づいた。

「ボランティアって問題に気づいて自ら動くことなのに、僕は自ら動かずに、他人にやりなさいって言ってただけなんですよ。ボランティアとして間違ってた。やるんだったら自分でやりなさいっていう話で、それを現実にやっていたのが北海道の森田さんでした」。

その夜は一晩中考えた。仕事を辞めるまでの覚悟はないし、企業をまわってお金を集める自信もない。編集の経験もない。でも、8年間ずっと悩み続けてきて、あきらめきれなかった。朝になって「やろう」と決めた。森田さんは3ヶ月でやった。ならば、仕事をしながら、倍の半年でできるかもしれない。来年の4月に創刊する。1万部発行する。お金は自分で出して、1年で目処が立たなかったら辞める。そう決めた。

ボランティア情報誌、『ボラみみ』創刊!

決めてからは早かった。名古屋に帰ってきて、いろんな人に宣言してまわり、協力してくれる仲間を募った。7月31日には4人で団体を立ち上げた。来年4月に1万部、毎月発行、販売できる品質の情報誌をつくると目標を掲げて、それに向かって進みはじめる。

創刊までのスケジュールをつくり、創刊準備号を2回発行した。「編集プロセスを自分たちで組み立てていきました。プロではないので、時間管理をして、何月何日までに何をしないといけないというのを全部スケジューリングして。情報集めの〆切や、校正の〆切、印刷をどうするかを、全部決めていきました」同時に、準備号を持って配布先の開拓を行った。準備号とはいえ、中身は全部本物だったそうだ。

森田さんの真似をできるわけでもない。だから、自分のやり方でどうやったらできるのかを考えた結果だった。織田さんの信念に支えられて、『ボラみみ』は誕生した。

真剣にやってきたからこそ

織田さんが出した300万円で発行していた『ボラみみ』だったが、1年で資金が底をついてしまう。解散も覚悟しながら申請したのは、日本財団の助成金だった。既存の事業では、原則、通らない助成金。「原則」だから、と申請したら、日本財団から電話がかかってきた。「情報誌もホームページも既にしっかりしていて、今さらなぜお金が必要なんですか?」と問われ、織田さんはこう回答する。

「この1年間、自分で全部お金を出して、ボランティアで発行できる仕組みをつくってきました。でも、この1年間でお金を集める仕組みを作れなかった。僕が欲しいのはお金じゃない。時間なんです。資金を集める仕組みをつくるための時間が欲しいんです。そう演説したら通りました」。

その資金で数ヶ月の運営見通しがつく。それなら、やろう、と見切り発車で続けていたら、まもなく行政の仕事を受託できたのだった。

実はこのとき、設立間もないボラみみが行政から信頼されて仕事を取れたのには理由があった。

「創刊したときに校正ミスをしたけど、1万部全部を手作業で修正しました」

なんと『ボラみみ』は創刊号から3回、校正ミスをしては1万部を手作業で修正していたのだ。スタッフ総出で家に持って帰り、夜なべで修正をして次の日に持ってくる。そんな作業を延々と繰り返した。それでいて、発行日には遅れなかった。

「そのあとからはミスがなくなりましたが、この修正がボランティアだけどいい加減なことをしていないという信用につながったのだと思います。自分たちのミスで信用を勝ちとったのは、ラッキーでした」。

気がつけば、2年目には事業規模1000万円になっていた。

ボランタリーな社会を目指して

最終的に織田さんがボラみみに専従するようになったのは、2004年のことだ。行政の委託事業が激減し、ボラみみが2度目の危機に瀕したとき、覚悟を決めて勤務先に辞表を出した。なごやボランティア・NPOセンターの指定管理委託申請に邁進するためだった。このときも、やると決めたら、やる。織田さんの口調はやわらかだが、その奥には硬い芯が感じられる。

何としても社会を変えたい、と織田さんは語る。

「ボランティア活動の背後には必ず社会問題がある。それに気づいた人が、自分の力で、お金を出したり、仲間を集めたりして、苦労しながら自分たちの方法で解決に取り組む姿がボランティア活動だと思います。これがまさに市民活動であって、そういう人がたくさんいれば社会はよくなると思っています」

ボランティアで問題のリアリティに触れ、自分ゴトにしていく。そうして動く人たちが社会の何十%かに増えたとき、社会は変わっているのだろう。

織田さんは野村文枝さんを尊敬しているという。名古屋におけるボランティアの草分け的な存在の方だ。

今年、あと50年ボラみみを続けると宣言した織田さん。10年やってきても目指す社会には到達しなかったが、あと50年と考えたら、焦りがなくなったそうだ。

つくりたいのは管理しない組織だ。ボランティアは自主性のものだから、自分たちで自分たちのことを決めていける組織にしたい。その形は、目指す社会の形と同じである。

各々に本業をもつボランティアに支えられながらの運営。その裏側には想像以上の苦労が潜んでいるに違いない。しかし、織田さんはこともなげに

「普通ですよ」

と言う。

「その人の気持ちに合わせてやればいいんです。みんなバラバラな動きをしても、100人いたら、ある一定の水準を保てると思うので」。

それぞれの「したい」を組みあわせて、管理しない/管理のいらない社会をつくるために、試行錯誤は続いていく。

取材・文/木村善則 写真/河内裕子(写真工房ゆう)

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