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会報誌「aile」vol.79

会報aile79号(2011年5月号)

いたらず、尽くさず~最期まで自分の力で生きることを支えたい~

五十川 うたえさん
NPO法人すみれ 代表理事 介護福祉士

大学卒業後、商社でのOL生活を経て、介護の世界へ。10年間の特別養護老人ホーム勤務の中で、より一人ひとりに向き合った介護をしたいと考え、起業を決意。起業の学校3期生として学んだのち、2008年NPO法人すみれを設立、同年7月デイサービスセンター「すみさん家」オープン。

事業概要


NPO法人すみれ デイサービス「すみさん家」
TEL:052-602-4922
FAX:052-602-4933
E-mail: sumire2008kaigo@yahoo.co.jp
URL:ブログ/すみさん家の笑ん側だより
http://blog.canpan.info/sumisanchi/
■事業理念
小さな手が寄り集まって困っている人を応援する社会にしたい
■事業内容
高齢者通所介護事業(デイサービス)

名古屋市守山区、矢田川沿いの閑静な住宅街の一角に、デイサービスセンター「すみさん家」はある。松や柿の木などの並ぶ立派な庭の奥に、平屋建ての昔からの日本家屋。懐かしく、そこにいるだけでなんだかほっとできる空間だ。

「ここには、決まったプログラムはほとんどなく、その日集まった人たちの顔ぶれや状態によって、1日の過ごし方が決まります。誰かに指図されるのではなくて、自分の意思で自分のすることを決められるという“当たり前”を大切にしたい」

と語るのは、「すみさん家」を運営するNPO法人すみれの代表理事、五十川うたえさんだ。

「みんなでお誕生会や季節のイベントの準備をしたり、お昼ごはんを一緒につくったり。ときには、1日中縁側でおしゃべりをしていたら過ぎちゃった、なんていう日もあります」。

起業の学校3期を卒業し、翌年7月に「すみさん家」をオープン。間もなく丸3年を迎えようとしている。

答えのない問いとともに

五十川さんは、名古屋市守山区で生まれ育った。

古い友人からは「あなたが介護の仕事をしているなんて信じられない!」と言われると笑う五十川さん。幼いころから、“おかしい”と感じたことを見過ごすことができず、よくまわりの大人とぶつかっていたという。特に、人をぞんざいに扱う大人や、権威を笠にきた大人は許せず、一言物申さずにはいられなかった。一方、そんな五十川さんを慕う人は多く、何十年のつきあいになる友人も多い。

大学では中国語を学び、繊維商社に就職。“世界を股にかけて活躍するキャリアウーマン”を目指し、3年ほど東京でOL生活を送る。退職後、一生の仕事を見つけたいと模索する中で、まずは中国語を更に学ぼうと、単身中国に渡った。縁あって、青島のバーで接客業を体験をする中で、「人と接する仕事って楽しい!」と実感したという。

帰国後、「一生の仕事ってなんだろう…」と想いを巡らせながら日々を送る五十川さんに、大きな衝撃をもたらす出来事が起こった。突然訪れた、大好きな祖母との永遠の別れだ。

「祖母が入院することになって、病院に付き添ったんです。病室に入り、トイレに行きたいというので、介助をしていたのですが、そこで容体が急変し、わたしの胸の中で亡くなりました」。

いつも明るい五十川さんの声が震えた。

もしも、あのときすぐにベッドに返してあげていたら。もしも、自分に介護の技術があったら。五十川さんの中で繰り返される、数え切れない「もしも」。その答えを探すように、五十川さんは高齢者介護の世界に足を踏み入れた。

わかりあえたときの喜びが糧に

ヘルパー2級の資格を取得し、ケアハウスやデイサービス、特別養護老ホームなどの運営を幅広く行う社会福祉法人に就職。デイサービス担当を経て、その後、特別養護老人ホーム担当となる。

特別養護老人ホームでは、職員1人で昼間は25名、夜間は20名の利用者を担当することとなる。夜勤もあり、ハードな勤務体制ではあったが、特に辛さは感じなかったという。

「ごく自然にこの仕事にはなじむことができたように思います。なんて言ったらいいんだろう…、仕事って苦しいものっていうイメージがあるんですが、この仕事についてからは楽しいばっかりで。何か困った事態が起きても、それをどう乗り越えていくかを考えるのが楽しいんです」

と語る五十川さん。介護の仕事は天職だったのだろう。

一人で大人数を担当するという環境の中でも、五十川さんはできる限り利用者の心に寄り添うことを自らに課した。

「たくさんの人を相手にしていると、どうしてもどこかでごまかしが出てきてしまう。でも、それはしたくないなって」。

時には勤務外の時間も使って、利用者さんの話を聞く。一緒に過ごす時間を増やす。そうすると、その人の新しい面が見えてきて、もっともっと知りたくなる。

「すぐに心を開いてくれないような、気難しい人を相手にしている時ほど燃える(笑)。どうやって楽しませようかな、どうしたら笑ってくれるかなって」。

時には喧嘩をしながらも、全身でぶつかっていく五十川さんに、お年寄りも応えてくれた。

「最初難しいなと思った人ほど、仲良くなれると嬉しいし、お互いわかりあえた瞬間には何とも言えない感動があるんです」。

人生の最期にこんな想いをさせたくない

仕事自体は楽しく充実していたが、五十川さんに大きな転機をもたらした利用者さんがいた。

「もう、なんもできんくなってまった…」。

ある認知症の女性を介助していたときにぽつりとつぶやかれた言葉。

「胸にぐさっと突き刺さりました。わたしたちが良かれと思ってやっていることは、本当にその人のためになっているのか、と突きつけられたような気がしました」。

もちろん、その施設でも、職員はみな一生懸命やっていた。が、大規模な施設の中で日々を運営していくためには、決められたスケジュールを守ることが求められ、トラブルは未然に防ぐことがよいこととされる。利用者が「自分らしさ」を発揮できる場面はなかった。

「その言葉を言われた方も、認知症でコミュニケーションの難しさはありましたが、一方で歌をたくさん知っていたり、字がとても上手だったりと、素敵なところをいっぱい持っている方だったんです。でも、それをみんなに知ってもらう場がなかった」。

この人に通ってもらえるデイサービスをつくりたい。利用者さんから“できることを奪わない”介護がしたい。五十川さんの心に、起業に向けた小さな灯がともった瞬間だった。

起業の学校での学びと出会い

働きながら資金を貯め、起業の準備を進めていた頃、五十川さんはウィルあいちの“女性のための起業相談”で起業の学校校長・関戸美恵子と出会う。

「一目ぼれっていうんですかね(笑)。関戸先生に出会った瞬間、起業予定を先送りにしてでも、もっとこの人について知りたい、この人の近くで学びたい!という気持ちになって。勧められてもいないのに(笑)起業の学校に入学してしまいました」。

起業の学校では、次々と課せられるワークが「楽しくて仕方なかった」と振り返る。

「多分、こういう学びに飢えていたんだと思います。介護の仕事の経験はあっても、経営はしたことがない。やりたい介護ははっきりしているのに、そのためには何が必要かということまでは落とし込めていないと感じていたので、ワークをするたびに、そこがクリアになっていくことが快感でした」。

今でも、起業の学校で創り上げた事業計画書は、折に触れて見直すという。

起業の学校卒業後は、すぐに起業に向けての本格的な準備に取り掛かった。行政への各種申請や、物件探し、この地域で地域密着型のデイサービス事業に取り組んでいる先輩事業者のもとでのボランティアなど、自分で必要だと感じたことにはどんどん取り組んでいった。

「卒業する時は、やっぱりものすごく不安だったんですよ。大海原に一人投げ込まれたような感じで。準備中も、何度も不安になりました。でも、起業をするのは自分なんだから、自分で決めて、自分で動くしかないと思ったんです」。

起業の学校で共に学んだ仲間たちも、折に触れて五十川さんを励まし、勇気づけた。

「大人になったら友達ってできないと思ってたんですが、起業の学校では本当にいい友達にたくさん出会えました」。

地域で必要とされている限りチャレンジは続く

オープン時は思ったように利用者数が増えず、このままでは資金も底をつくかもしれないと覚悟した時もあったというが、たくさんの叱咤激励を受けながら、自分たちにできることをひとつずつ積み重ねていった。その後、利用者が増え始め、現在、「すみさん家」は1日10名の定員ほぼ満員だ。現在8名いるスタッフとも勉強会やケース会議を積み重ね、理念や目指す方向を共有でき、立ち上げるときに思い描いた介護がほぼ実現できているという。

次の挑戦は、2つ目のデイサービスを立ち上げること。

「すみさん家のような介護が地域に受け入れてもらった、必要とされているということが一つの自信にはなったと思います。新しいデイサービスを立ち上げ、スタッフに責任あるポストについてもらうことで、人材育成にもつなげていきたい」。

超高齢化社会、日本。介護を必要とする人はこれからも増え続けていく。“他にも必要としている人がいるのに、次のチャレンジをしないのは自己満足ではないのか”。ある人からそう問われた言葉が五十川さんの胸に今も響いている。現在、物件探しの真っ最中だ。

最終的には、利用者の方がどんな状況になっても支えられる体制をつくりたい、と語る五十川さん。より地域に密着した事業所となることを目指して、地域の方々の居場所としてすみさん家を活用するプロジェクトも進行中だ。

五十川さんの起業、そして人生の方向に大きな影響を与えた二人の女性を想う。

「お年寄りのいる職場で働いたら、もう一度祖母に会えるかなと思った」

「人生の最期に“何もできない”という想いをさせたくない」。

お二人が「すみさん家」に通うことは残念ながら叶わなかった。が、彼女らは、今も五十川さんとともに在る。人は人に影響を与え、与えられ、支え、支えられ、だから、共に生きる。

「すみさん家」の縁側からは、今日も朗らかな笑い声が響く。

取材・文/久野美奈子 写真/河内裕子(写真工房ゆう)

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