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会報誌「aile」vol.70

会報aile70号(2009年11月号)

子育て支援はまちづくり ~誰もが輝ける地域を目指して~



河野 弓子さん
特定非営利活動法人あっとわん 代表理事

大阪生まれの大阪育ち。
大学卒業後、愛知県内の企業にて社員教育に携わる。
出産を期に退職。地域で子育てサークルの活動、1日手づくりショップの運営、ミニコミ誌の発行に取り組む。その後、2000年より任意団体としてAT ONEの活動を開始。
2002年特定非営利活動法人あっとわんに。
現在は、名古屋大学大学院教育発達科学研究科博士後期課程に在学し、社会教育として「育児期の女性の学習」「子育て支援と女性の学び」を研究中。

事業概要


特定非営利活動法人あっとわん
〒487-0011
愛知県春日井市中央台1-2-2
サンマルシェ南館地下一階 ラポール
親と子の支援センター
TEL:0568-92-5481
FAX:0568-92-5481
URL:http://www.geocities.jp/kosodate_atone/
■事業理念
自立する市民の場づくり
■事業内容
子育て支援事業(子育て支援講座・つどいの広場)、障害児支援事業(児童デイくまたんクラブ・スペシャルキッズ情報メルマガ)、相談支援事業他
子育て支援はまちづくり ~誰もが輝ける地域を目指して~

愛知県春日井市。1960年代後半から開発のはじまった大規模ニュータウンの中心部にある大型ショッピングセンターの地下1階にNPO法人あっとわんの事務所がある。笑顔で出迎えてくださったのは、あっとわん代表理事の河野弓子さんとスタッフの皆さん。事務所に入った瞬間にふわりと暖かな空気に包まれる。

あっとわんは、2000年に任意団体として活動を開始し、2002年にNPO法人格を取得。「自立した市民の場づくり」を基本理念に、子育て中の親(育児期の女性)の支援とまちづくりという考え方をベースにした子育て支援事業を展開している。

事業の中には、障害や発達に不安を持つお子さんを育児するにあたっての相談をうける“相談支援事業”や、そういったお子さんが保護者と一緒に通う“児童デイサービス事業”も含まれているため、

「よく“障害児支援のNPO”と言われるのですが、わたしたちがこだわっているのは、あくまでも子育て支援。障害があってもなくても、”子育てをするという営み“はみな同じ。だから、わたしたちは、子育て支援、親支援の一環として、児童デイも相談支援事業も位置づけています」

と河野さんは言う。
「子育て中の女性たちが本来持っている自分の力を発揮する場がまだまだ少ない。親を支援すれば、その結果は子育てにも反映される。その循環を生み出していきたい」というのが、河野さんの切なる願いだ。その源泉には、3人の子育てをしながら地域と関わってきた自らの体験がある。

地域の中で小さな一歩を踏み出す

河野さんは大阪生まれの大阪育ち。大学卒業後、愛知県の企業に就職し、人事部にて女性社員の教育など、人材育成に携わる。「もともと、キャリア志向ではなくて、数年働いて、結婚して、専業主婦になるのが夢でした(笑)」という。ただ、仕事はやってみると面白かった。新たな企画が認められ、社内で表彰を受けたこともある。結婚後もそのまま仕事を続けていくことも考えないでもなかったが、妊娠中に体調を崩し退社。その後、3人のお子さんを出産し、地域での子育て時代に突入した。

「わたしも夫も大阪出身で、近くに頼る人がいなかったんです。その頃から、子育ての中で“こんなのがあったらいいな”という想いの種はあったような気がします」。

2人目のお子さんが産まれた頃から、近所の子育てしている女性たちと子育てサークルの活動を開始。自分たちでつくった手づくり品を販売する“1日ショップ”を行ったりする中で、地域の中でのネットワークをつくっていった。

「活動する中ではじめに戸惑ったのは、コミュニケーションの取り方が大阪とこの地域では全然違うということ。ぼけても誰もつっこんでくれないとか(笑)。はじめのうちは、遠慮して、周りにあわせてもいたのですが、だんだんと本当の自分を出したい、と思うようになっていきました」。

また、“30代のうちに自分の本当にやりたいことを見つけたい”と、名古屋で開催される様々な勉強会に参加。その中のひとつに、新聞記者の方から文章の書き方を学ぶ講座があった。

「そんなこんなの中で、子どもの幼稚園で出会ったお母さんたちと、ミニコミ誌を発行することにしたんです」。

子どもを持つお母さん同士の会話は、どうしても子どもの話題に限定されがち 。

「でも、もっと違う話題も話したいのに、というお母さんもいたんです。だから、ミニコミ誌のテーマは、脳死とかごみ問題とか、結構ハードな社会問題も扱っていました」。

コーディネーターとしての自分と出会う

ある日、各地でミニコミ誌づくりに取り組む人々が集まる会議に誘われた。そこで、各地で、地域に密着した活動や事業に取り組みながら、情報発信している人々と出会う。

「そこで出会った仲間から、“コーディネーター養成講座”が開催されることを教えられ、参加することに。しかも、新入りだからと自分が講座のコーディネートを任されることにになったんです」。

現在、せんだい・みやぎNPOセンターの代表として活躍する加藤哲夫氏や、「教えない教育」を提唱し、らくだメソッドを広めつつあった平井雷太氏などとともに学ぶその勉強会で、河野さんは非常に多くのものを得たという。

「場を見るということ、一人ひとりの想いや言葉を大切にするということ。とにかく必死でした」。

それは、場をつくり動かしていくコーディネーターとしての資質が開花した瞬間だったのかもしれない。

その後、ひとつの転機になったのが、地域の中で子育てマップをつくったことだ。子育てにまつわる様々な情報をひとつにまとめようとマップをつくる中で、障害をもったお子さんの親たちのグループとも交流を持つようになった。その中で、子どもに障害があってもなくても子育てはみな同じ、という、現在のあっとわんの活動につながる軸が見つかった。

2000年に仲間達とともに、任意団体としてAT ONEを設立。ミニコミ誌発行と交流会を中心にしながら活動を開始し、翌年には高蔵寺ニュータウンのショッピングセンターで市民活動センターを開設するに至る。「とはいっても、まだ市民活動センターというものが何をやったらいいのかも分らない状態。スタッフもみなボランティアで、できるときにできることをやっていたというのが実態です」と河野さんは言うが、主婦たちが地域の企業と対話をし、ともにまちをつくるパートナーとしての一歩を踏み出すことには、大きな意義があった。

2002年にはNPO法人格を取得。NPO法人あっとわんとして、2004年からは、障害をもった子どもたちのための、「児童デイくまたんクラブ」を開始。あっとわんの事業展開も少しずつ軌道に乗りはじめた。

「わたしたちがやっていることって、いわゆるお金儲けができる分野ではない。でも世の中には絶対必要だ、という確信だけはあったので、いろんな方に応援していただきながら、少しずつ前に進んできました」。

もちろん、全部の活動が上手くいったわけではない。

「小さな失敗は、そりゃあもう、山のように(笑)。でも、根っからの楽天家なんでしょうか、ちゃんと心を込めて一生懸命やっていたら、最終的にはどうにかなるさって、どこかで思っているんですよね」。

危機からの再出発

今でこそ笑顔でそう語る河野さんだが、「実は本当に苦しい時期があったんです」とも。事業は順調にまわっていたものの、組織内部の問題が起こり、事業にも影響を及ぼしはじめてしまったのだ。

「もうやめようかと真剣に考えたこともあります。そんなとき、支えになったのが、一緒にいてくれたスタッフと“あっとわんは地域になくてはならない存在だ”と言ってくださった方々の声でした」。

もう一度ゼロからやりなおそう…。自分たちの理念は何なのか、その理念を達成するために組織はどうあるべきなのか。とことん考え、そしてゆっくりと時間をかけてスタッフの一人ひとりと対話をし、仕事や情報の流れ、働き方の仕組みなどを見直していった。

「そのときがあったから、今のあっとわんがあるとも言えます」。

そう語る河野さんの表情からは、経営者としての静かな誇りが匂い立つ。逃げないという選択が、あっとわんの、そして河野さんの輝きをよりいっそう確かなものにしたようだ。

とことん寄り添い、とことん深め

あっとわんでは、相談支援事業の中で数多くのお母さん達の相談も受けている。一人ひとりにとことん寄り添い、ともに考え、悩み、少しでもよい方向を見い出していこうとするのが河野さんの流儀だ。

そんなこれまでの実践を理論的にも検証したいと考えるようになり、現在名古屋大学の大学院で「育児期の女性の学習」「子育て支援と女性の学び」について学んでいる。河野さんとお話していると、明るくノリのよい言葉の奥に幾重にも深められた思索を感じる瞬間がある。大学院での研究を通して、社会の抱える課題や矛盾に対して「なぜ?どうして?」をとことん考え、それをまた現場で活かす。そんな循環が生まれているようだ。

あっとわんの代表、大学院生、家に帰れば、妻であり母であり主婦と一人何役もこなす毎日は、目の回るような忙しさに違いない。それでも、「いいかげんが好い加減」と笑いながら、河野さんは今日もたくさんの人に出会い続け、たくさんの元気を生み出し続けている。

誰にでも“その人だからできること”がある。あっとわんの事務所のあたたかさは、それを信じる人たちが発するエネルギー。そのエネルギーは、まるでおひさまのように、いつまでも、このまちを照らしつづけることだろう。

取材・文/久野美奈子 写真/松原雅人(ケア・プラン)

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