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会報誌「aile」vol.59

会報aile59号(2008年1月号)

いつまでも学び続ける楽しさを



脇田 順子さん
社会福祉法人あじさいの会 理事長

社会福祉法人あじさいの会理事長。当事者の親として、また経営者として活躍中。OLとしての勤務を経て、結婚・出産。その後、一念発起して保育士資格を取得し、保育園に再就職をする。保育士、主任保育士を経て、保育園に併設される子育て支援センターのセンター長として数多くの親子の支援に携わる。人生の第3ステージの生き方を考えているときに起業の学校と出会い、一期生として入学。2007年4月より現職に就任。

社会福祉法人あじさいの会 小規模通所授産施設「ゆったり工房」


社会福祉法人あじさいの会
小規模通所授産施設「ゆったり工房」
〒470-0115 愛知県日進市折戸町鎌ケ寿54-1
電話/ 0561-74-1943 FAX/ 0561-74-1943
Mail/ k-yuttari@mc.ccnw.ne.jp
■事業内容
精神障害者の小規模通所授産施設として、ゆったり工房まつり、チャリティコンサートの運営、さをり織り・草木染製品・ハーブティ製作、エコブランチの天然洗剤松の力・黒にんにくなどの販売、週1日・月1日の喫茶事業など
■事業コンセプト
スローワーカーの仕事場
■事業理念
障害者が過ごしやすい街は誰にとっても暮らしやすい街
いつまでも学び続ける楽しさを

「60歳になったら新しい何かをはじめたいと思っていたんです」。

脇田順子さんは、長年保育士として名古屋市内の保育園に勤務してきた。数多くの子どもや家族と接しながら、また時には管理職として運営・マネジメントに携わりながら働く女性の先達として走り続けてきた世代だ。

「20代の頃は普通のOLとして働いていました。でも、昔のことですから、女性は結婚したらやめるのが当たり前という風潮。仕事を続けていくためには、何か専門性がなければいけないと考え、保育士の資格を取って、息子が4歳の時に再就職したんです」。

当時は子どもをもった女性が再就職することも大変珍しく、保育士として再就職した脇田さんは新しい女性の生き方のモデルとして取材を受けたこともあったそうだ。

それから30年近い年月が過ぎた。「55歳くらいのときからずっと“次の何か”を探していました」。

脇田さんの心の中にあった漠然とした想い、それは障害をもった人の支援に携わることがしたい、ということだった。

「長男が精神障害を持っているんです。息子やその友人たちを見ていると、ちょっとしたサポートがあれば、問題なく日常生活を送ることができるのに、それがないために苦労をしているんです」。

そんな想いを抱きながら、ふと目にした地元での「女性のための起業講座」の記事。2005年1月のことだ。起業を明確に志向していたわけではなかったが、何か感じるものがあって参加した。

「そこで起業支援ネットの関戸先生と出会いました」。講座で配られた資料の中に、「第一回起業の学校」のチラシが入っていた。

すぐさま申し込み、起業の学校一期生として入学。平日は、子育て支援センター長としての仕事をしながら、隔週の土曜日に起業の学校に通う日々が始まった。

仕事をしながら起業の学校に通うのは大変だったのでは?と問いかけると、

「一旦荷物を降ろしてしまってそれから持ち上げるのは大変でしょう?今だったらまだエネルギーがある。そう思って徐々に次のステージに移っていこうと決めていたからそんなに大変さは感じませんでした」と笑顔で、しかしきっぱりと答えてくれた。

起業の学校で出会った「新しくて懐かしい私」

確かに起業の学校に通っていたときの脇田さんは、いつもとても楽しそうに数々のワークに取り組んでいた。起業の学校は、起業のためのノウハウだけを学ぶ場ではなく、自分を掘り起こすことからビジネスプランづくりを行っていく。そのため、セルフインタビューと呼ばれる手法を用いて、自分の理念や、その事業が社会にどのような価値をもたらすかを明らかにしていくステップを必ず組み込んでいる。だからこそこの世にたったひとつのビジネスプランが出来上がるのだが、自分と向き合うことの大変さを訴える生徒も多い。そんな中、脇田さんの楽しそうな姿は今振り返ってもとても印象的だ。

「私ね、本当はものすごく自己主張の激しい人間だったんです」と語る脇田さん。

が、長年保育士として仕事を続け、他の保育士の育成や地域の子育て支援に関わる中で、だんだんと調和の中で自分を活かす術を身につけてきた。

「周りと上手くやっていく上ではとても大切なことだったとは思います。でも、それは素の自分ではないでしょ?だから起業の学校でのワークは、そのままの自分を出していいんだ!と思ったら楽しくて仕方がなかったの。もう、快感といってもいいくらい(笑)。おまけに、今まで全く知らなかった経営のことも教えてくれる。学ぶことすべてが新鮮で、いつもワクワクしていました」。

脇田さんは、若い頃、女性の生き様などを研究する愛知女性史研究会に参加。

「社会のことを学びながら、生き生きと日々を過ごしている素敵な先輩女性の姿に触れることができました。そこで見て、聞いて、学んできたことが今の自分の礎をつくってくれたと思っています」と語る脇田さん。「そんな時代の自分を思い出していたのかもしれないわね」。

事業プランを書き上げたからこそ出会えたもの

起業の学校で取り組んだテーマは、【精神障害を持つ人々の就労支援事業】。

「私の息子も病名を出すと就労先がなくなるということで、自分の病気を隠して就労し、2~3ヶ月で続けられなくなる、という経験を繰り返してきました。でも、働く意欲はあるし、できることも沢山あります。ただ、精神障害の人には好・不調の波があります。見た目には健康に見えるため、頑張りが足りない、怠けていると思われてしまうんです。きめ細かな一人一人にあった就労サポートがあれば、彼らも、自分の力を社会の中で発揮できるのにと思ったんです」。

脇田さんのつくり上げたプランは、障害者スタッフと健常者スタッフが一緒に働きながら季節感あふれるスローフードを提供し地域の方に喜んでいただけるようなスローカフェ事業だった。卒業試験でも、その理念の確かさとキャリアが評価され、最も多くの投資(模擬投資)金額を集めた。

「息子の通っている作業所との連携や、市との協働も視野に入れた事業プランでした。経営のことなど何も分らなかったわたしですが、事業計画書をつくりあげたことで、自分のやりたいことをしっかりと人に伝えることができるようになったんです」。

脇田さんは、自分のプランを周りの人に語り続けた。息子さんの通っている作業所「ゆったり工房」の施設長、職員、その母体である社会福祉法人あじさいの会の理事会、評議委員会、利用者の家族会、そして当事者・・・。語りながら動き、動きながらつながった。保育士としての勤務とともに「夢を語る会」という関係者が語り学ぶ場を設立したり、事業内容の実験として、工房のおまつりでのテスト販売や市民交流館でのワンデイシェフの喫茶事業など、様々なチャンスを逃さず起業準備に励む日々が続いた。

人生の第3ステージを地域とともに

そんな脇田さんのところに、ある日思いがけない依頼が舞い込んだ。社会福祉法人あじさいの会の理事長の就任を乞われたのだ。

「驚きました。もともとあじさいの会との連携は考えていましたが、理事長というのは考えもしなかったので。でも、みなさんの助けを借りながらやってみようと決めました」

60歳を期に、長年務めた保育園を退職し、2007年4月、理事長に就任した。

「よく考えると、わたしは自分が表立って何かをするよりも、裏方というのかプロデューサー的な役割が好きなようです。毎日の事業そのものについては施設長をはじめとする職員に任せて、運営・経営のための戦略づくりを中心に動いています」。

就任から半年が過ぎた今、多様な関係者とのネットワークを大切にしながら、アイデアを形にしようと奮戦する日々が続いている。

「いろんなことがありますし、まだまだ課題は山積みです。でも、何があってもめげない精神力はこれまでの経験の中で培ってきたかな」と笑う。

“障害者が過ごしやすい街は誰にとっても暮らしやすい街”という脇田さんの理念は、あじさいの会というフィールドを得た。人生のキャリアを備えながら、少女のようにきらきらとした目で語る脇田さんは、働く女性の先達としても、起業家としても、とても魅力的だ。これからも挑戦は続くが、静かに、しかし確かに場を育み、「こと」を動かしていくその歩みは、地域の中に確実な足跡を残していくに違いない。

取材・文/久野美奈子 写真/松原雅人(ケア・プラン)



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